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気がつきゃお盆
小忙(こぜわ)しく過ごしている毎日、気がつきゃお盆間近か
商品分けてもらいにこの会社へ。この会社、今年で70周年で歴史を感じます。昔、創業者の方とお話しすることあったのですが創業当時は仲間と乾物のカレーなど車に積み込んであちらこちらに卸していたそうで、苦労多かったあの頃のこと懐かしく話して下さったことを思い出しました
立ち寄った実家の前の通り。昔は大勢の子供が路上で遊んだりしていました。今は大勢の老人が行き来してます
彦根市にある「護国神社」。今「みたままつり」が行なわれています。太平洋戦争にて亡くなられた英霊が祀られています。
こうした祈年祭についてNOを突きつける方いらっしゃいますが私は亡くなられた方に失礼と思います。表現の話になりますが私はおじいちゃん、おばあちゃんに育てられたようなものでして、祖父(明治39年生まれ)から「志那事変」の話しなど聞かせてもらったことがあり、学校で志那事変と言ったら先生に訂正求められました。日中戦争と言いなさいでした。で、明治時代にあった「日清戦争」や遣隋使、遣唐使、日明貿易なども日中戦争、遣中使、日中貿易と呼んだ方が良いですか?と聞いたら余計に怒られました。父から「あの先生は授業ほったらかしにして赤い旗振ってる人やさかいに・・」と慰められたことがありました。
遺族の方と思われる方が拝殿に向かって歩いておられました。
戦争は不幸ですししてはならない愚かな行動は良く分かりますし負けた側である我が国は他国から「侵略を受けた」と言われても仕方ないと思います。ご批判覚悟で申し上げるならその反省は十分にした上でしでかした事の結論も大切ですが「何故にあの戦争に突入しなければならなかったのか」「石油をはじめとする物資を止められた我が国の取るべき選択は戦争しかなかったのか」・・考えいろいろあると思います
その護国神社から見る彦根駅前。79年前終戦時の彦根はみすぼらしかったと聞いています。この今日(こんにち)繁栄あるのも命をかけてでも祖国を守って下さった方がおられる事を忘れてはならないと思います。侵略、同化政策の解釈の違いで今年他界した友人姜徳成(キョ・トクソン)と言い合いしたのが懐かしくも思えてきました