帰省
家内と子供の4人で彦根の実家に行きました
昔だったら母親が何かしらの料理作って待ってくれていたりしました。お昼、とりあえず寺回転寿司にでも行こうということになり
父親との5人で向かいました。その後ちょいこの店の周りうろついてみました
こうした店が少なくなったのも寂しい限りです
その食堂の前にあるのは旧道路公団職員さんの住宅。家賃安く広い住まいで当時食材をここに納品させて唄抱いていましたがほんと充実した住まいには羨ましさも感じていました
彦根の地場産業ともいうべきバルブの工場。私は彦根東中学出身で、小学校は城東小学校出身なのですがこの地域は東中でも佐和山小学校エリアです。このふたつの小学校エリアではバルブ製造が盛んで、私の実家の近所でも数多くの町工場がありました
その工場の裏道、こうした道があちらこちらにありいつもどこからともなく金属の加工する音やにおいなどがしていました。
こうした道も当時はもっと狭く自転車が行き来するのが精一杯でした。ここらは今風の家が建っていますが当時は長屋っぽいのがありました。商店もそうですが当時は自宅の一部が工場(工房)で生活と仕事が一体でした。友人の家に遊びに行ったときの事です、お昼時は避けようと昼から遊びに行った時友人たちのご家族は遅めの昼食中でして「食べて行きなさい」とそうめんをごちそうになったことがあります。家族も近所も一緒にわ~わ~やっていた古き良き時代でした
町にはこのような商店がありジュースなどよく買いに行きました
いろんな店がありましたが今はこの付近、お米屋さんがあるくらいになりました。道路も広くなりずいぶんこの界隈も変わりました。東中は商売やこうした工場営む方多く、西中はサラリーマンの方多く、南中や稲枝中は農家が多かったです。鳥居本中はお寺などに熱心な方が多く中学校でもカラーがあったように思います。たいがい私のブログはそうした「懐かし」シリーズが多いですがそうだからと言ってその時代に時計を巻き戻したら不便極まりなくちょい嫌だなあ~と思うんじゃないかな?
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