琵琶湖一周小ネタ集

琵琶湖一周しつつの思い付きです

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朝方彦根に納品に行ったときその道中でのお店、学生さんに対してのお値打ちなど彦根だなあ~学生さんいる街だなあ~と思いました

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一度帰宅するときに見かけたご近所の「ゆ~さん」。なんだか南米の方っぽいです

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昨日に続いて暑いなあ~

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運送関係のトラックにしてはえらくゆっくりと走行しています

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もう少し速度上げてほしいなあ~

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道が分からなかったようです

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気のせいか樹木が道路側に傾いているような気が

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店名が変わっても流行っていますね。そういやこうしたイタリア系のお店での食事、バブル時は「イタめし」なんて言っていたなあ~

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パッと見た時「バレイロ」って何のこと?と思ったりしました

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数年前、県の防犯活動の一環で「危険ドラッグは絶対ダメ」キャンペーンで県の防犯課の方と共にどら焼きを売ったことがあったなあ~

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少しづつですがこの地区に道路が

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出来そうです。

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まだこのトラック回収していないみたいです

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ツーリング、楽しそうですね。私も商売するまではCB-400Rに乗っていました。ちなみに友人「おひろどん」は近年大型の免許取ってリッターバイクに乗っているとか

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安曇川の中華料理屋さんで昼食。隣で食事していた男性が電話に出られ、会話に「佐生の方に持って行かずに今に持って来て」と言うのでえらく聞きなれた地名だなあ~と店を出て隣に止めてある車見て

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納得

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パチンコ屋さん、どこにでもできますなあ~

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この道走るのも久しぶりです

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この公衆電話、35年前と同じ場所にあり当時食品卸の会社にいたころ昼ここから受注状況など会社に連絡していました。ちょうどテレホンカードが出来て間がなかったころ会社から500円分くらいのを支給されたのですが1000円分のとか3000円分のとかをメーカーさんが会社に「営業の方用に」と渡されたのを社長夫婦、社員でない二人の娘さんに渡し、私たちはとにかく手短に電話させらてれていました。でも嫌なことでもなく「電話で報告するほどの事でもない」と結構定時連絡などしなかったので逆に言えば度数の多いカード持たされずに助かったと思っています

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今津は自衛隊関係が多く、卸の会社で納品が決まった時など「普通科連隊」の演習の時など結構な量の納品がありました

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気持ちよく走行できました

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この製作所に以前ペンギンの置物のようなのがありまして、10年くらいあったのでいつ売れるのかなどよそさんの事なのに気にしていました

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足湯も良いですがお風呂もこのあたりでやったらいいんじゃないかと思ったりしています

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このような町の「スタンド」はなくてはならないものなのでずっと続けてほしく思います

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春にこうした道路を走るのも気持ち良いです。この近くに一度だけお世話になった方がおられ、とあるイベントで揚げ物と焼き物をするから食材を持って来てと言われ納品したあと仕込み等お手伝いしたことがありました。先方さん、大助かりだと夕食をごちそうになり納品に寄せていただいたのが昼過ぎだったのに夕食頂いて彦根(当時)に帰宅したのが夜9時だったのを思い出しました。

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雰囲気は良かったんだがなあ~

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この先・・・なんやろ?

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西浅井にある中学校、これもまた35年ほど前の話しですがこの中学校の敷地内に給食センターがあり、入札等でお世話になりました。このセンターの栄養士さんはご年配の方でしたが今から考えてみると当時のその方の年齢、今の私の年齢の方が上と思うと時間の過行く「流れ」を感じます

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再び湖周道路へ

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この道路がまだ完成していないころ友人「はせやん」の車(中々年代物のクラウン)でうろうろしたことがあります。その時何か音楽聞こうとカセットテープ(時代感じまっしゃろ)入れたらなぜか「イモ欽トリオ」の音楽でした。時はテクノポップス全盛時で、YMOなどみんな聞いていたのにイモ欽・・・楽しい歌ですが・・・

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盆梅展、数年間行っていないですがまたの機会にと来年2月くらいのこと言ってます

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この高層建物が出来ていたこと知らなかったです

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この建物の屋号がまだ「かも」がつく屋号だったころ設備屋で働いていまして水道の「カラン」を全て取り替えてくれとオーナーさんから依頼があり、全て取り換えに行ったことがありました。しかしながら昼間も利用客がいるので出て行かれてからの作業、全ての部屋終わるのにかなり時間が経っていました。部屋に入る時は掃除する人と共に入るのですが掃除する方、おばちゃんだと思いきや結構若い女性でして仕事なのに顔赤らめて作業していました。純だった僕・・・

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鍋かま祭りでおなじみのこの場所、こうした祭りで北部(長浜以北)で「おこない」と言う行事があるのですがこの役が当たった人、かなり会社を休まれていました。こうした地域の事今は結構会社も理解ありますが昭和の時代など行事終えて出勤したらデスクなかったというのなんてざらでした。

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松原のコンビニ後に出来たお店もやめられたみたいですね

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このお店、オーナーさんは熱心な方です

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店名変って久しいのにいまだに「しる万」と言ってしまいます

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松原界隈も田んぼが広がっていましたが現在はそうでもなく、干拓事業で活躍された方々も半世紀後こうした状態とは想像していなかったんでしょうね。理由は簡単、米の価格が低迷していることに加えこの日本で年間8万トンづつ日本人が米を食わなくなったからだと聞いています。この8万トン、滋賀県の生産量が16万トンと言うことから平たく言えば滋賀県で作られるお米の半分づつ日本人が米を食していないということなんですから農業行政、今後どうなるのやらと百姓気取りの私ですら心配しています

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 18:11:30  
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