先週・・・

金曜日、とある調理機械が入り今日はその試運転調整などしていました。本来なら月曜にでものんびりしたかったのですが日曜の今日、急遽仕事が入りその機械をすぐに使わねばならなくなったんです。で、そんな変化もありましたが先週は何かと届け出などに追われた一週間でした。その中でそこまで特筆する事でもない写真などを寄せ集めたの・・・つきあって下さい

dscn6635.jpg

学校給食のご飯を運ぶ車。昭和の時代は各学校で炊飯していたが昭和の終わり頃からそれをしなくなり、今ではほとんど各学校や給食センターで炊飯しない状態です。

dscn6637.jpg

介護関係か福祉関係の車ですね。いろんな名前あり、この団体さんは「あろえ」という名ですね。ネーミング、屋号って大切でインパクトもそうですし良いイメージに受け取られるかなども名前によって変わりますよね。とある会社の経理の方がずが付く名(例:伊豆さん・図子さんなど)でおられ、ずぅ~さんと呼ばれていたのですが部門と名を連ねたらあまり良い顔されませんでした。集金時「経理のずうさんおられる?」と尋ねたら経理がずさんみたいだって・・・

 dscn6639.jpg

多賀、この町の中に商売始めてからずっとおつきあいして頂いている方がおられます

dscn6643.jpg

その方の所への納品の帰り。実はそのお店、この春で商売やめられるようで納品もそれまでの後数回だと思うと売上がなくなることよりなんだか「戦友」が引退するってなさみしさに包まれました。私が飛び込んで買って下さいと頼んだときは店のオーナーさん30代、先日の納品時など彼女と懐かしい話しを1時間ほどしてしまいました。

 dscn6644.jpg

仕事関係でなく食べに寄せてもらっただけのお店なんですが、このお店が出来た当初、店長のお父さんが蝶ネクタイして料理運んでおられたのが印象的でした

dscn6645.jpg

この付近にはいろんなお世話になった方がおられ、彦根、能登川、近江八幡、草津に店舗を展開する外食関係のオーナーさん(最近は彦根にとんかつ屋さんをオープンされました)がおられたり、 飲料メーカーの食堂の大将がおられたり、お好み焼き屋さんがおられたりと平成時代卸売りなどでしょっちゅうこのあたりをうろうろしていました

dscn6646.jpg

このお寺にある地獄絵図。子供の頃は怖かったなあ~

dscn6647.jpg

この通り、かつて学校給食で多賀小学校へ納品するときよく使っていた道路です。多賀町には他「大滝小学校」もあり、この大滝小学校と永源寺にある山上小学校は坂道のその先に学校があったので雪の日など大変でした。K畑君など雪にタイヤが埋まり給食関係の方々に押してもらってなんとか助かったのに彼、「手堅く」有難うと降りて挨拶したものだから又タイヤが・・・雪の多かった昭和の時代の思い出です。もしK畑君、このブログ見ていたら又昭和時代のあの頃の思い出話したいものです

dscn6648.jpg

そんなこと思い出に浸っていたら偶然いた会社の方、現在「嘱託」にておられますが、今年で50年在籍したことになるあの会社の生き証人です。話変わるが、私が当時その会社に入社した昭和60年の頃を思い出す時、なぜか頭の中で「20世紀の群像・パリは燃えているか」の曲が流れます。んで、面白いことに辛かったかも知れなかったのに楽しい思い出しかないんです。と言って今が辛いかというと別にそうでもないですし、元々このブログは内容のほとんどが思い出話ですのでブログ内容はつい「昔は今に比べて良かった」的な感じに受け止められるのかもしれないなあと感じています。一定の環境で生活してこなかったこともあり今昔を比較するとき行動そのものが今行なっていないなどで善し悪しの判断ないんです。例えば学校出て設備屋にいて食品卸の会社にいて卸の商売初めて15年目あたりから焼饅頭作り20年目あたりからイベントで販売し始め25年目あたりから燻したりし始めこの春からお店を。又、名も姓は鈴木から小森、屋号もライフリー(そもそもこの名が紙おむつと同じでショックだった)で15年、焼き菓子なら違う名でと美しい琵琶湖、母なる琵琶湖を略して「美湖母湖」・・・春店するときはまた別の名でなどと思い出どころか一貫性のない人生なんです。自分でも変わった人生だなあ~と感じつつの今日この頃です

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 11:06:45  コメント (0)