ほんまにできるんやろか?

令和元年度(来年3月までに)中に店舗運営したいと願っていて、そのための打ち合わせと申しましょうじか商工会さんなどに相談に乗ってもらっていますが、土地の地目変更手続き、融資の手続き、そして何よりどのような建物を建てるのかでつまづいています。そんな落ち込みそうな気を紛らわすように外に出かけては下らんことをつぶやいている寛珍です

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とうとう道路の温度計ですが40度になってしまいました

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猛暑なんてなんのその、私は60年代(1961年生まれ)ですが、40年代生まれの方々は体の鍛え方が違うからかこの写真の方と同じ歳の「こういっつぁん」ご夫婦も畑に精を出しておられたりしました。とにかく達者です。

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とある業務用のお店での宣伝文句。皆さんこうしたところで予約などされるので私としては変な意味「助かっている」部分があります。例えばH町の北畑と言うところの夏祭りで冷凍ものを持って来てくれと言われ4年連続お届けに上がったことがあったんですが、元々得意先の食堂の店長さんだったのでお付き合いとして納めてはいましたが、お盆の祭りにそれだけのために行くのは勘弁してほしいと毎年願っていました。そうした時にとある業務用を扱うお店が 比較的近くに出来たのでそちらに買い行かれ、ほんとお盆の納品せずに済みほっとしたことがあります。食材、器、調味料などに関し全セット段取りして後は売るだけにまでしておくの・・結構大変なんです。 

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この写真、3つのお店が敷地内にありまして、各オーナーさんのこと知らないわけではないんです。各店舗運営されているオーナーさん方、それぞれの経営方針で店舗を広げておられます。向こう側にある鶏関係のお店のオーナーさんは多賀町の方でしてよくいろんな話などさせてもらう間柄なんですが、「屏風と店は広げ過ぎたら倒れるし、でんぼ(おでき)と店も大きくしたらつぶれる」と言っておられたのが今も心に残っています

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こうしたスタイルの建物近代的と言うことで昭和時代あちらこちらにこのデザインのが出来ました。草津にある〇〇飯店さんもこうしたデザインだったと思います。

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これは岐阜県大垣に本社を置く(株)大光さんの冷凍うどんでPB、いわゆるププライベートブランドなんです。知っている人は「OM(この会社のブランド名)のうどん」と親しまれています。この会社にものすごく愛社精神ある方がおられ、20年ほど前冷凍うどんの発注したら「OMうどんを納めるよ」と言うので「お~えむ~・・・うどん?」と聞きなれない名に聞き直したら急に怒り出し「OMうどんはなあ~有名なうどん~だで~知らないってなのはたわけだに」と言われてしまったことがありました。よほど興奮していたのか「OMうどん・・わが社は8年連続販売実績 国内No-1だで」と自慢げに話してくれましたが、今思うと私が「私は美湖母湖どら焼き販売実績No-1」と言っているのと変わらないように思うんですがね・・・

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炎天下、日焼け対策し、日傘さしてまでウォーキングしなくともと思うんですが・・

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このお店の前は焼肉屋さんでした。当時パンチが効いたウィンナーないか?と言う問い合わせに結構辛いウィンナーをお届けに上がったことがあります。このウィンナー一部の人の間で人気あり、ちょろちょろですがよく出ます

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このお風呂は食事とセットなんやろか?

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この踏切越えてしばらく行ったところに先ほどの冷凍うどんをお届けに上がりました。皆さんそうなんですが「わずかの事で買いに行くの面倒」らしいんです。そういう意味で使いっ走りのようなことする私は利用価値あるとも思われているんだろうなあ。個人さんへの売り込みで職域での販売などを業界で「ぶり打ち」と言うんですが私が商売して間がなかったころは収入の8割がこれでした。今もその名残のように数名さんと取引させて頂いています。得意先の中で今も先方さんと思い出しては笑っているのがその職場で家に持って行ってくれと言われたんです。その方は奥さんとかなり歳が離れていて奥さんは未成年だったので勝手に「幼な妻」なんて想像してその奥さんのご実家(出産準備のため帰っておられた)に寄せてもらったらいきなり北〇晶さん風の方が「ようきたのわれ~」っ見たいな言い方で迎えて下さいました。私と旦那さんとはものすごく仲良かったので本音が出てしまい、納品後旦那さんに「幼な妻ちごうておっさんみたいな妻ですな」と言ってしまったことがありました。そんなあほなこと言いながらでもお付き合い続き、今やその方のお孫さん用の牛乳と混ぜるだけってなのを納めさせてもらったりしています 

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愛荘町、旧愛知川地区は1990年代ブラジル系の方が多くおられたと記憶しています。3年前オリンピックが開催されたり発展を象徴する催しなどが開かれたことは記憶に新しいですね。この国、ずいぶん昔には貴金属埋蔵量多い時代があり、そうしたのを 目当てにひと山当てようとする人たちがいました。ここからは人から聞いたので加筆、修正願いたいのですが、こうした人たちの事を「ガリンポ」などと言い、その集団を「ガソンぺイロ」と呼んでいたと聞きます。鉱山でのこうした勘にたよる仕事、うまくいかない方が多く、彼らは次第に犯罪に手を染めたりし始めたのが現状との事なんです。ブラジルには人種差別はないが貧富の差はえげつないほどあると聞いています。治安もそうしたことから良くないこと多く、リオのカーニバルも結構なものと聞いています。それだけに近江八幡の先輩が「わしんとこの左議長祭りはリオのカーニバルのようなもんだ」とブラジルの人の前で話した時少し引かれたのを思い出しました。中々の祭りでどうもあのビジュアル・・すごいものがありますなあ~

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この写真、お分かりと思います。ことがことだけに言葉選んで伝えようと思います。この学校がモデルとされた時ここの住民でなかったのにも関わらず嬉しかったです。こうした建物をモデルに作品を世に出して下さった方々のこと思うと胸が つぶれる思いです。私はそこまでアニメファンじゃないですが、子供が幼かったころなどいろんなアニメ見たりしていましたし、たまこマーケットなどいつも録画してみたりしていました。親子で笑いながら見た思い出を作って下さった京アニの皆さんの作品を思い出すたび非道、外道の蛮行に怒りを感じます。話変わりますが表現の自由と言う名において何を表現しても良いと言うのはどうかと思います。かつてフランスの新聞か何かで福島のあの後、手が3本ある(指だったかもしれない)日本人が描写されていたことがありました。愛知での催しでも表現の自由と言う名において問題作が出展されたことは私個人としては「表現の自由を着飾った・・・」と思っています。が、しかしそれだからと言って「ガソリンを携行缶に入れて・・・」との脅迫は間違っていると思います。この話し、ディープなので軽いノリが「売り」の私のブログではここらが限界ですが、本音を言えば感ずるところ山ほどあるんです

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 20:42:19  コメント (0)