近江八幡

昨日夕方から近江八幡方面に行くことがあり、車を走らせていました

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なんやかんやと夕暮れ近くの5時頃でも33度、ほんと暑い昨日でした。この写真の手前は金田地区でして元々近江八幡市になる前は蒲生郡金田村でした。最近の記憶では「平成の大合併」がありますが、昭和の時代にもかなりの合併がありました。今住む能登川も例えば義母の出身「福堂」も栗見村でしたし現住所、躰光寺あたりは八幡村でしたし能登川駅近くは五峰村でした。滋賀に目を向けると最近まで朽木村と言う村が存在していました。面白いことに村と言うとなんだか農業、林業、農業ってなイメージがあります。また、「静かなこの集落で・・・」とニュースになればあまり良いニュースにならないことの方が多くも感じます。2日ほど前NHKで限界集落で殺人事件があったその真相と言う番組があり見ていました。誤解から偏見が生まれ対立から孤立になってしまう構図なども語っていました。また村社会には暗黙の決まりってなのがあり、鳥居本のある地区では「婿養子には役員をさせない」というよそ者にはと言う考えがあるらしく私は羨ましくさえ思った決まりがあったりします。また、古くからの風習で例えば滋賀北部の「おこない」の番が当たった人など1ヶ月ほど会社休んでおられたりでした。また曳山祭りで役が当たったら300万円程「モノ入り」だったとか祖母(実父の母)の実家「伊庭町」でずいぶんまえに「お稚児さん」が当たった時などとにもかくにも大変なひとときだったとか村ならではの苦労はひとつやふたつではないです。しかしその反面互いが協力し合ってと言う点では街中での行動以上に集落の皆さんは結束します。それで不思議なのは我が躰光寺は新しく来られた方も古くからの方も関係なくみんなで汗を流したり笑ったりと楽しくやっています。

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この辺りも昭和時代は賑やかでした。旧国鉄のバスが元八幡 と言う停留所まで往復していてその元八幡からは近江八幡駅、三雲までなどの路線がありました。こちらのコースは近江八幡から元八幡までのコースでの通り道でした。小幡上筋などを通る時「お買い物は小幡ショッピングセンターで・・・」なんてアナウンスが流れていました 

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ここはスーパーとして歴史あるお店でした。40年近く前、食品卸の会社のセールスマンだった時、冷凍コロッケなどよく納めさせてもらいました

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ずんと道を通り過ぎたところにこうしたドラッグチェーン店が出来ていました。

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この辺りも観光地として皆さんの人気を博しておられますね

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この通りは40年ほど前とあまり変わらないです。自分自身で思うのですが、住む環境(生まれ育った、今住む町問わず)の周りが変化してゆくのはある意味寂しさを感じます。1970年代頃彦根でも住宅開発が盛んな時期がありました。ものすごくいろんなものが変化してゆくのを肌で感じていた時期でもありました。とある開発地域の現地案内事務所ではトアエモアと言うデュオの雪と虹のバラードと言う曲が流れ「町ができる~美しい町が~」と盛んに変わりゆく景色を夢が実現と言わんばかりのアピールでした。その時いわば「夢のマイホーム」を手に入れた方が現在80歳台。お子さんは別のところに住んでいてと言った具合の開発当時の町もいつの間にやら「年金横丁」になってしまっています。最近人生の折り返し地点はどこだったのかなと考えたりするんですが、人それぞれで昔は男性の場合42歳の「厄年」辺りだったと思うのですが最近の皆さんの元気具合などからして60歳を超えた辺りからでないと折り返しなんて言えなくなったような気がします。農業でもそうなんですが、私が婿に来たころ70歳に手が届こうとする方が田んぼに行っているだけでびっくりしていましたが、今や私の義父など80歳になってもトラクターで荒起しなどされています。仕事関係で言いますとこれは希望でもあり願い、祈りでもあるのですが古稀を迎えるまで商売続けられたら幸せだと思っています。

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 9:23:38  コメント (0)