月末も様変わり

ひと昔前なら月末と言えば非常にバタついていたし、仕入れなどに関しては月初に仕入れる手はず(末締め10日払いなら1日に仕入れた方が40日後の支払いになる)されたり調整したりされていました。また古い商売人の方などの中には月初、1日には代金など支払わないという「ゲンを担ぐ?」方がいらっしゃったりでいろんな個性ある人とのかかわりを文字通り経験で渡っていました。

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商売のことなども含め書類提出などであちこちに出かけたりしていました。まずは農業関係のを提出。副組合長さんの家の前に置いてある役員ポストに入れに行きました

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役員さんのご自宅に行くまでに見かけた農業倉庫。開いているところ見ると自治会さんか何かの用事だったんかな?稲のラジコンヘリによる病害虫防除はまだだったと思うので農事関係ではないようにも思うんですが

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いろんなものを運ばれた後の軽トラ・・・こうした汚れ、先日の日曜などでも自治会の各清掃作業でこうした状態になったんじゃないかな?2年前私の軽トラも大変な状態になったりしていました

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旧湖東町のとある道路。この通りにかつて数軒お店があり、ジュース、たばこなど販売していたり、パン、お菓子類、日用雑貨など販売しておられるお店もありました。今は大方の品をコンビニ1店舗でまかなっている時代ですね

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こうした喫茶店、昭和の時代にはあちらこちらにありましたね。こうしたお店の半分くらい、店内に入る時のドアに「カウベル」とでも言うんでしょうかカランカランと音が鳴ったりしました。

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で、八日市へ向かった先は市役所東庁舎にある

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観光協会本部

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とある書類提出のためです。観光協会さんには秋の「ぶらっと五個荘まち歩き」や「二五八祭り」などでお世話になっています。もちろん春のいなべ市梅まつりなどでも大変お世話になっています

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踏切で止まっていて車から見える近江鉄道。元々彦根駅前に住んでいた私は近江鉄道を眺めながら育ったようなものだけになんだかこうした車両見るとほっとします

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昨日のとあるお店のオープンの時に開店祝いの花を送られていたこの会社、丸紅の資本が入った結構大きな会社なんですよ。こうした商社系のって結構ありまして、業務用の冷凍食品メーカーにヤヨイってなメーカーさんがありますが、ここも伊藤忠100%子会社だったりします。

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自治会で行われる夏祭りに使用するフードパックを買いにこちらさんへ。昨年までと違い少し小さめのフードパックをそろえてほしいとの事でしたので、毎回は近江八幡のO留さんへ買いに寄せていただいていたのですが、今年はこちらさんのを購入することにしました

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帰り夕食のおかずでも買いにと八日市のドンキさんへ行きました。店内は地元の方が多く買いに来ておられました。先日このお店の豊郷店で知り合いを見かけました。とにかく安いところから仕入れるのはもっともだがその交渉が「度が過ぎる」ので各問屋さんが引いてしまった経緯がある人なんです。今は現金持ってこうしたお店で安いものを買ったりしておられます。度が過ぎる交渉で地元の問屋さんで私の親しい人の話ではさしたる購入量もないくせに他の問屋さんと二人並べてどちらが安いか競わしたそうなんです。私の親しい彼、「〇〇さんの方がお手頃価格と思います」とさっさと商談切り上げて帰ったそうです。また他府県の大手問屋さんが出された見積もりをコピーして地元の問屋さんに配り「これより安くならないか?」と交渉持ちかけたり10ケース買うから1ケースサービスしてくれ(これは業界によくあることで10対1の外まし条件と言う)と担当セールスを呼びつけておきながら交渉に入ると「7対1にしてくれ」と条件内容変更求めたりでした。こうしたコテコテの商談が多かった昭和の時代ならともかく、きょうび担当とのやり取りなどほとんどメールかFAX、ライン時代に呼びつけてってな前近代的なスタイルは文字通り化石のような扱いになってしまいました。買出しに行くのもしんどいからと元々出入りしていた問屋さんにまた来てほしいと言っても現在の各問屋さん、ほとんど個人商店クラスのお店などへの新規は増やしていないのが現状なんです。昔はお客さんが問屋を決めていたが現在は問屋がお客さんを決めるというかその問屋さんにふさわしいかを決める時代なんです。ましてや滋賀県内の問屋さん、まるでトレードのように問屋さん同士でのセールスマンが あちらに行ったりこちらに行ったりで、その新たな職場で今までの顧客情報を話したりするものですから当然ブラック(支払いの悪い)などはすぐ知れ渡るし、最近は問屋さん同士仲良いのでそれとなく世間話しながらのようにうっとおしい顧客は互いが放そうとそういった意味で情報を共有しているので変な意味「目をつけられたら」しまいなんです。でも、話の内容にはひとかけらも悪口などないんです。例えていえば「〇〇さん、あのお店ご盛況ですね」・・・どこにも悪い話などないのです。聞いた問屋さん「と、言うことはお宅、納品されているんですか?」・・・話し切り出した問屋さんはすっぱいもの食べたような顔して上向きながらため息つく。こんなあんばいなんです「そうは問屋が卸さない」とはよく言ったものです

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夏だと感じ始めた

雨がよく降ったりで何となく気持ちも「どんより」していましたが昨日など真夏っ!てな感じでしたし、学生のお子さんをお持ちの方や学生本人さんなどいよいよ夏休みが始まったってな感じですね。

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彦根市内に台湾まぜそばのお店がオープンしました。こうして並んでおられるところ見ると中々おいしいんだろうなあ~

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で、私はついその正面でなくこうした横からちらっと

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浦にあるどの業者さんがこのお店に出入りされているかなど見てしまいます。こうした開店祝いの花とかなので社名とか書かれていてても皆さんへの宣伝かねているくらいなんだから私が知っても構わないと解釈しています。

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小学校の頃こうして夏休みになると嬉しくいろんな体験などしました。この写真は私の通っていた小学校の正門前。この校門は東側にあり、当時学童は西側、南側にもある校門からも通学したりしていました。大体夏休み前、少しづつ自分の持ち物を持って帰っておいたりするのですが、要領の悪いのになると終業式の日思いっきり荷物をまとめて半泣きで持って帰っているのもいました。その時とにかく「邪魔」だったのが粘土細工で「働くおじさん」のようなテーマのツルハシ(⛏)振り上げた人とかので、いつも手がしびれていたのを思い出します。また夏休みの生活を規則正しく過ごそうと学校から言われて円グラフのようなのに一日の行動予定書いたりしていましたがその通りに過ごした記憶ないです。当時は今のようにテレビが半ば24時間放送していなかったし子供は8時とか9時には寝ていまして、金曜日とか土曜は少し遅く起きたりしていたくらいでした。土曜日は「8時だよ・・・」見て「キーハン・・・」見たりしていました。金曜日、「ザ・ガードマン」見たりしていたんですが夏はいわゆる幽霊物が放映されていてこれ見た時など怖くて寝られなかったことがありました。小学校のころと言っても幼稚園から小学生になりたての頃と来年から中学生だという6年生とでは過ごし方なども違っていまして親にべったりくっついていた1年と違い6年生のころなど友達と遊んでばかりの日々でした。 

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 3:22:50  コメント (0)

天気やないの~

昨日奥永源寺渓流の里から台風の影響もあろうことなので日曜(今日)の出店はやめにさせて頂きます。との連絡が入ったんですが昨日の時点で明日なんて最高の販売日和になると思っていましたら思っていた通り好天。んなこと言いつつ別の仕事しながらの日曜です

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昨日の夜友人たちが来てわいわい話に花が咲きました。やまかんは本来なら今日は富士山に「にしけん」と登る予定だったそうですがキャンセルしたとの事。秀ちゃんは今の仕事も慣れてきて活動の場を広げてるとの事、のぶちゃんは職場が急にきつくなって職場の人が休んでばかりだから自分に負担がかかりしんどいとの事など他愛もない話していました。

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今日の朝は墓掃除から始まりました

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刈り取った草や伐採した木などを運んだりのお手伝いしていました。この運搬の仕事は農事委員さんが行われるんですが私も廃棄する補助でお手伝いしました

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ひと雨ごとに伸びる草、いかにしてローテーションを組んで効率よく圃場管理するかなど話しておられました

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現場に戻って釜片手に私も汗を流しました

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墓地の中にはこの場所(躰光寺)に現在住んでおられなかったりされる方のお墓がどうしても草が伸びたりしているのですが、墓に刻まれている名だけでは何せ50~60年前の人の名などが書かれているので「この人って誰?」となってしまいます。そこで我が集落の長老、重鎮、御大、生き字引・・・すんません・・・誰もそこまで言っていないです ・・・ご年配の方にこの記載されている名の方はと伺ったりしていました。

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その後川掃除などがあり、防火訓練があったりとで夏の町内の行事が「こなされて」行きました。

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 15:04:03  コメント (0)