小ネタになってしまった

パソの調子が悪いまま昨日はどうにかならないもんかと思っていました。で、今日立ち上げたら不思議と正常に起動していたので不思議で仕方ないです・とつぶやいていたら家内から「昨日の夜、設定していたの・・・うちやし・・・」どうも家内は私がパソの調子がおかしい時にお仏壇や神棚に置いていたらなおると考えているでくの坊と思っているみたいです。

dscn1856.jpg

彦根市内のこのお店、あたらに生まれ変わりました。こうしたお店の復活って嬉しいもんです。

dscn1857.jpg

彦根市内の和菓子屋さん。お店を待たないというか持てない私にとって羨ましと言うか憧れです。能登川地区にも和菓子屋さんがあり、Kさんも繁盛しておられます。私のこの無店舗状態を何とかしなきゃと今年中にと思っています。ひとつの妄想としてうちの畑に小屋をたててそこで昼間どら焼きを販売しようと思っています。しかしながらどら焼きだけでは1万個くらい月間売れるのならいざ知らずちょろちょろとしか売れない私など小屋であろうが掘立小屋であろうが背たらった(背負った)借金で首がまわらないのも想定できるのでそこは平成23年に一度ぽしゃった(計画倒れになった)おでん屋さんでもして生活費を稼ごうかと思い、昨日商工会の方とお話させてもらいました。この計画、うまくいくのかどうかの不安もありますが還暦手前の私にとって怖いけど前に進むしかない決断なんです。バック(後ろ盾)も、つて(強力な団体からの支援)も、こね(飲食店仲間)からのおすすめなどない私ですし、ほんとうに車の車庫にテーブルとカウンター、内装をお金ないので自分で施しただけのお店、そんなぼろた(おんぼろ)店舗にと不安材料抱えたら正直夜も寝られないときもあります・・・が・・・やってみて~な~(やってみたい)のほうが勝っている今日この頃です

dscn1867.jpg

彦根市内某所、こうした古い町並みの中でお店をしておられる方がおられ、その方の妹さんが昔洋裁学校していた母のところで洋裁を習っておられました。その方(すなわちお兄さん方二人)は日夜努力を重ねおいしい食材を提供しておられました。こうした努力はお客さんの評価につながるものだと思っています。

dscn1872.jpg

高島市マキノ地区、とにかく大津や近江八幡とは別の景色です。

dscn1873.jpg

長浜市内にあるこのレストラン、ずいぶん前からあり思い出などもあるお店です。実は昨日(1/29)、実父と配達に出ていました。彦根の実家に寄った時母の7回忌、祖母の三十三回忌をどのように段取りするかの話があり、話が長引きそうなので配達しながら打ち合わせしていました。長浜にも親戚があるので父とやれ八条町の藤さんとこから来てもらうのか、鳥羽上のけいちゃんとこからは何人ってな話しながら走行していました。このレストランに親戚のしげさんが連れて行ってくれたことがあり、懐かしいなあ~と父に話したら父がOと言う別のお店が彼のいつも利用する店だったんだが料理出てくるのがあまりにも遅すぎて次の日から立ち寄らなくなったと聞きました。お店するときは決して待たせ過ぎないようにと思いました。

dscn1875.jpg

宇賀野、この近くに乳飲料販売の営業所があり、今度は今の家の方の親戚のかっちゃんがひところ勤めていました。その方は数年前に他界されましたが当時はほんと寂しく感じました。この親戚の系列とでも申しましょうか元々うちの実家は「寄り合い所帯」のような家で、祖父が長浜から子供のころ養子に来て鳥居本の祖母がそこに嫁ぎ生まれた母が父を養子に迎えその又息子が能登川に婿にとなっているんですが、父方の親戚は不思議な縁と言うか父方の祖母は元々伊庭の人でその親戚になる人は今、塾をしていると聞きました。どこでどんなつながりがあるか分からないもんです。

dscn1877.jpg

彦根市内を走っていてこうした風景見るとやっぱ冬だなあ~と感じます。雪が降り始めたら雪かきするのが独身の頃でしたがこちら能登川ではそんなにすることもなく楽です。昭和56年に長浜は旧高月町の山手にある高野と言うところに行くことがあったんですが豪雪で覚悟してゆこうと当時親戚が載っていたダットサントラックの4WDに4本チェーン巻いてなおかつトラックの荷台にブロックとか積んで完璧装備で寄せてもらった事があります。当時設備屋にいた私はとある会社の「丁野寮」建設現場にいたんですが丁野から高野に行くまで2時間ほどかかったことがありました。また建設仲間と岐阜県に本社があるGと言う会社での打ち合わせの帰りあまりにもの雪で動けなくなり、夜だしふぶきで何も見えず、仕方なく見つけた駐車場で 一晩過ごそうということになったんです。とにかく寒いので新築祝いなどのために会社が用意していた酒でも飲もうと二人勝手にそれを開けて飲んでいたんです。吹雪がやんであたり見まわしたらなんとそこは警察(樽井の警察だったと思う)の駐車場、警官が来られ、とにかく体からアルコールが抜けるまで走行相ならん!と言うことで次の日の昼まで警察署にいたことがありました。業務連絡で会社に電話したらみんな心配してくれていましたがまさか酒飲んんだから足止め食らっていたなんて言えず黙っていました。どこからともかくこのことがばれてこの会社を退職するまで「あいつ・・・酒飲んで警察のやっかいになった」と話し盛られて言われ続けました。こうしたことひとつでもあるとずっと言われる怖さをこの時実感したことを思い出した寛珍です

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 8:14:10  コメント (0)

年がら年中

農業関係で思うのですが、私は独身の頃農業には農閑期と言うのがあると思っていました。ところが3月くらいから田んぼの土つくり、4月、5月には田植、6月にはその前の年に植えた麦の収穫、7月には田んぼの水管理や各防除、8月下旬から9月は稲刈り、10月からは麦の畑つくりのトラクター作業、そして11月には種まき。12月から2月くらいまではゆっくりできると思いきや各書類提出や各会議が目白押し、このような人生を送っておられた年配の方は生活と言うより体の一部になっているんですね。私など義父は話すことないので口を開けば百姓の事、「かんがえてなあかんほん(よく考えて行動取りなさい」と訓示のようなのを述べられますが私の商売のこと話したら「わしはしたことない」の一点張り。商売と百姓にはどことなく深い溝があるようにも思えます。困ったもんです

dscn1855.jpg

鶏のふん、これにも二種類あるってのを聞いて勉強になりました。鶏には食用と鶏卵用の鶏がありその餌が違いまして食用と違い鶏卵用は卵の殻を硬くする必要から餌にはカルシウムが多く含まれる(貝殻の粉など)餌が与えられているそうで、このタイプの餌を食べた鶏はカルシウムを吸収するはものの腸の短い(牛や豚に比べ)鶏の場合消化されずに「出てしまう」ことがあります。土、こうしたカルシウムを多く含むこの肥料を大量にまくとセメントとと同じで土が硬くなることがあります。いろんな勉強してゆく中で家の人たちは即役に立つかどうかで判断されるので私のこうした話はいつも「余談」扱い。別の視点から話が来ると機嫌が悪くなる方も多いので私はいつも「みなさんのおっしゃる通り」の寛珍で流されてゆこうと思っています。

Filed under: 農業 — admin 12:05:21  コメント (0)

つぎはぎだらけのUP

小ネタと言うより脈絡ない内容ですが付き合って下さい。パソ、シャットダウンして起動したりしていたら何とかキーが打てる状態になりました。でもまた昨日のような現象になるやもしれずその時は「笑うしかない」とのんきなこと思っています。スマホでUP出来るようにこの土日にでも勉強しようと思っています。情けない話、老眼寛珍・・スマホの操作、どこかのCMみたいに「文字が小さくて・・・」なんです。疲れるんですわ~

dscn1834.jpg

琵琶湖大橋も近くETC導入なんですね

dscn1835.jpg

雪が降る前に湖西方面へと走りながらふと思ったんですが

dscn1849.jpg

普通救急車ってこの色と言うかラインが入っていますよね。でも

dscn1837.jpg

高島市だけは救急車のライン、この色なんです。考えてみればこのラインの色、赤色灯などは法令で決められているがこのラインなどはこうでなければならないという法律があるとも聞いていないんですよね

dscn1838.jpg

お昼はここで済ませました

dscn1840.jpg

おいしかったですがラーメン食べたら辛くて汗が吹き出ました。

dscn1841.jpg

船旅 、かれこれ40年近く前フェリーを使って北海道に行ったことがありました。敦賀から出たのですが時間があったあの頃船内でののんびりしたひとときは友人との旅行だったこともあってか楽しかったです。帰りもフェリーだったんですが、北海道の塩狩峠が印象に残っていたので三浦綾子さんの「塩狩峠」の単行本買って読んだりしていました。ああいった時間過ごせたのもよき思い出ですし最近の私はとにかく時間に追われっぱなし、商売がそうなんだからとも思いこんでいるがもう少し時間と言うか心に余裕ほしいもんです

dscn1843.jpg

道の駅、我々の業者仲間もひところ新設されるごとに販路が広がりかなり繁盛していたと話していました。

dscn1844.jpg

雪に供えて融雪設備の点検しておられました。これも滋賀北部及び西部の特徴ですね

dscn1848.jpg

車の色見るとどこそこの会社だとよくわかることがあります。この会社が30年以上前ホンダシティと言う車が営業車だったんですが友人で買った時の色が青色だったので「すずけん」と呼ばれていました。その後、買い替えたりしてもも言われていたので彼のこと知らない人は名前の略(例えば鈴村健一さんってな感覚で)と思い込んでいたくらいです。車買う時このカラーのシティ、うすだいだい(昔で言うところの肌色)のマーチのふたつはみんな避けていました。だってすずけんだったらまだみんな不思議がらないがきんでんと言われたら何故そんなニックネームになったか説明しなきゃならんもんね

dscn1850.jpg

このお店の名「エーゲ」なんですが、私の場合エーゲと言ったらジュディ・オングさんです。よくカーテンで物まねしていたのがいましたが英語の部分になると「ウィンデスフロム・・・・」と、うにゃうにゃうにゃとごまかす・・・そんで「女は海~」・・・と日本語ははっきりと・・・英語ができないあほばかり友人に持ったもんです。

dscn1851.jpg

こうした建物、いったいお家賃いくらぐらいなんやろ?

dscn1859.jpg

夜、彦根走っていてふと思い出したんですがこの近くにアルコールを伴う飲食店があり、そこのマスターは元々とあるスーパーのお総菜屋さんの大将でして、どこまで売り上げが見込めるか分からないからと昼は総菜屋さん、夜はこの辺りのお店のマスターしておられました。私の知る人にこうした二足の草鞋と言うか掛け持ちされていた方多く、 昼間は研修施設のチーフし、夜はおでん屋さんとか昼間スーパーのフードコートでコーヒーなど出していて夜はお好み焼き屋さんってなのもおられました。八日市のインター近くで総菜屋さんしておられたYさんが京都に店を出されたときそこで働くパートさんと言うか女の子、夜自分のお店を持っておられるので何のお店なのか気になっていたんです。結構きれいな人だったのでスナックかなあ~ってなくらいにしか思っていなかったんです。数年後Yさんと当時の話して「彼女、今どうしているのかな~感じの良い人で私は好きでしたよ」と話したら「お前~あいつ・・・男やぞ」と言われ目が点になったことがありました。「おばんざい」がうりのお店でそのおばんざいの勉強にお店で働いたりしていたそうです 。色んな掛け持ちしておられる方の中であれほど驚いたことはなかったです。掛け持ち、私もこれから今まで以上に何かと掛け持ち人生が待っているのかなあ~

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 2:37:35  コメント (0)