師匠

いろんな部門にも師匠的存在がおられると思います。

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おでん屋さんに関し、店を開くまでにこの方に伝授してもらおうと思っています。この方との付き合いもかれこれ今年で30年。その話したら「もうそんなに付き合ってるんか~」と笑っておられました。平成になって27年、昭和の時代からのお付き合いしてもらっているお得意さんもこの方と後3人になってしまいました。

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 18:28:52  コメント (0)

いい天気のモノローグ

ほんとタイトルにはいつも「なんて書こうかな」と思っています。今日、配達で行った先で見かけたことなどのモノローグです。お付き合いの程を

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こうしたのに乗っている人、私の町内でも見かけなくなりました。

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この新幹線の土手と言うかなんと言うか・・・草刈り大変なんだろうなあ~

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甲良町からも日本電気硝子能登川事業所の煙突が見えると言う事はこの煙突のてっぺんに登ったら稲枝から甲良、豊郷から五個荘まで見えるのかな~

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弁当屋さんも昼手前が一番忙しいと思います。私の知人で湖北方面のとある仕出し屋さんを経営している人がいまして、そこは田舎ですので法事などにはいつも注文が入っていました。そのお店の近くに工場が出来、お弁当をと言う話になったのですがそのお弁当の「単価」の低さにびっくりされていました。よく似た業界に見え仕出屋さんとしと弁当屋さんはちょい違うんですね。低価格でのお弁当でも大手のように1万食以上製造していたらそれこそスケールメリット生かせますので仕入もびっくりするような単価で仕入れておられます。

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相撲大会には大相撲の力士たちも来ると思います。20年ほど前出羽の海一門が来られた時当時人気力士だった舞の海関が来ると言う事でかなり人が集まっていたのを思い出しました

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田んぼとそれに面する道路の高低差、この写真の場合も中々あるものですね。推定2~3メートルはあるんじゃないかな?

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こうした住居兼用の機械工具等販売するお店、かつては彦根にもいっぱいあり「こんにちわ~」と訪ねると奥から「おいでやす」と奥さんが出て来られ店の大将はその奥で工具の修理ってなあんばいでした。

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旧中山道もこの時間帯は時間がゆっくり流れているようにも感じます。ちなみにこの付近、寿司屋さんと和菓子屋さんが多く感じます

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同じ食品関係を扱っていても分野が違う事もあり出会う事もないですが存じ上げていますよ~

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地元の名を使ってその漢字を変えたネーミング、いいですね~

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こういったの見ると「ポンプ装法大会」を思い出します。こんな私ですがなんと私も当時選手として出場したことあるんですよ。

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あいがもくん・・こうした農法も自然環境に配慮していていいですね

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こうしてあちらこちらで頑張っているかと思ったら

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1か所で休憩・・・いろんな農法がありますが、ひと頃「ハーブ米」と言い、ハーブを田んぼの周りに植えてそのハーブの香りと言うかにおいで虫が寄ってこないようにすると言った方法が良いとされ、そりゃいいなあ~と思っていましたがここ最近あまり聞かなくなりました。ハーブの香り、私は好きです。

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 18:24:22  コメント (0)

橋にかける先人の思い

橋と言うと大きな橋や歴史的な橋などを思い浮かべますが私たちの住む町などにもかかっている橋、その当時の事知らない私ですが出来た時はどんなんだったんだろう(嬉しかったのかな~)と言う気持ちにさせられます

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新宮西町。道路が整備されている現代にも当時の面影があったりします

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この特別養護老人ホームの看板がある手前、今も現役で橋の機能果たしています

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志村橋・・・よく昔から能登川に住む人たちは「しむらに用があって・・・」と言われますが新宮東の事言っているらしいのですが本当は昔この地域の村を「志村」と呼んでいたのかな?

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昭和40年竣工。この完成年月日を新しいと言っていいのか古いと言ってよいのか・・・

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乙女町から北に向かう時にかかっている橋

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大同川に架かる橋を

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乙女橋と言います

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昭和40年竣工で、当時の技術から見てこういったコンクリでしっかり固める工法が主流だったのかな?

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それより少し北側にある福堂町にも同じような橋がかかっています

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こちらも町の名にちなみ「福堂橋」と言います

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ひとつ気付いたことがありまして、上記3つの橋は同じ昭和40年の11月~12月に竣工しているんです。時はいざなぎ景気の真っただ中と言うのも予算編成に関係しているのかな?しかし能登川のあちらこちらで橋の工事が盛んだったと思います

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ここは伊庭町。推測ですがこの右側にも川が流れていて小さな船で米などの搬出していたが徐々にその運送方法も車などに変わりそこまで幅の広い川が必要なくなったから現在のこの状態になり必然的にかける橋もそこまで大掛かりな工事しないことから上の写真のように「〇〇年竣工」と言う記念の文字も書かなくなったんじゃないかなと書いていますがこれは私の勝手な想像ですので加筆訂正の程お願い致します

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こうした道路みると「ここも昔橋だったのかな?」なんて思ってしまいます

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これはうちの近所を流れる大同川。ご近所のK逸さんから「むかしこの河川改修工事に使われていたトロッコで遊んだ」などと伺いました。それまでこの躰光寺をくねくねとこの川は流れていたそうです

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この橋

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何とも言えないネーミングですが、実はこの名は竣工当時勝手につけた名前でなくこの近くにあった橋の後継橋としてつけられた名前なんじゃないかな?

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この橋が当時からあった「おおはし」です。

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昭和10年竣工。この橋のかかっている位置から見てこの大同川、かなりくねくねしていたと思いますし昭和10年当時と言う事は米を運ぶ時も小さな船で運んでいたんじゃないかな?それがゆえに各家の近くまで船が付けられるようにしてあったと思います。驚くべきことは80年前にかけられた橋のこの「〇〇年竣工」と言うコンクリ見てもお分かりの通りほとんどひびらしいものが入っていない事なんです。 コンクリート技術についてよく言われるのは列島改造のブームの頃、それ以前に建てられたものは頑丈だがそのブームのころも含む以降10年間程の間に作られたものは少し・・・と言葉こそは濁されたが某ゼネコン勤務しておられた人が話しておられました。なるほど湖西線の高架のコンクリの劣化など見ているとそうなのかなっとも思います。ちなみに旧国鉄の東海道本線開通時から使われている建造物は今も健在ですもんね

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 17:45:36  コメント (0)