びこぼこぶろぐ

Archive for 12月, 2012

大晦日・掃除やら

12月 31st, 2012

大晦日の独り言です

某スーパーのパン屋さん。今年で閉められるとのこと。オープンされて間がなかったのに残念です。

自家用車も洗車。今日は天候も良く良かったです。洗車しつつちょいご近所にお住まいの「こうちゃん」と今日の神社、お寺参りの打ち合わせ。「おけさん」「H君」も誘って今日と明日神社とお寺で我ら「連中」も年末年始元気を確認したりします

ばんじゅうもしっかり洗浄し

熱湯で完璧な消毒

スモークチキンも今年は初の試みでした。燻す時に使うスモーカー、洗浄したらしこたま煤(すす)が出ました。うちわ・・・・あちらこちらのイベントで関電さんから多くもらい先日得意さんが欲しいと言っておられたので20本ほど渡しました

どら焼きの工房もきれいにし正月を迎える準備万端。どうぞ来年もどら焼きが売れますようにと願いつつ締めくくろうかと思っています。平成25年は私が商売して25年目の年。来年はどら焼きもそうですしスモークチキン、又各種惣菜も販売してレパートリーを増やすつもりです。どうぞ皆さん来年もも良い年でありますように

今年最後のどら焼き製造しました。お正月のお年賀、帰省の時のお土産にとご注文頂きありがとうございました

明日は配達などしつつ今年一年振り返りたく思います。今年ラストの製造はご近所様、愛知川、竜王、そして来年正月明けにははHPでお世話になっているアバンテックグループ(彦根・愛荘町・日野町・守山・大津・姫路・尼崎などで活躍)の15周年記念品用にと製造させていただきました。又、本日製造しました分でこの大晦日、元日などにご注文があるかもとちょい皮算用しまして粒あんどら焼き30ヶ、白あんどら焼き10ヶ、抹茶どら焼き10ヶ、こしあんどら焼き8ヶ余分に製造しました。どうぞ皆さんお正月のちょっとしたお菓子に美湖母湖のどら焼きをよろしくお願いします。

年内最後の土曜

12月 29th, 2012

このモノローグ、なんと言う題名にしようかいつも考えています。小ネタですがお付き合いのほどを

多賀におられる方へ年末のご挨拶。多賀大社もいよいよ初詣の準備に忙しそうでした。

一園さんの車の後ろを走っていてふと気付いたのですが山中という営業所が増えたんですね。空調、給排水の設備では県内トップのこの会社です

昨日大津に行った時思い出したのですがこのビルの中に昔「いしづち」というナイトショップがあり、コンビニエンスストアーのような存在でした。お弁当とかも販売されていてそれこそ当時(昭和59年頃)設備の工事で大津の某硝子工場での仕事の帰りこのお店のお弁当買って帰ったものです。当時の仕事はハードで高月町で朝に打ち合わせし、昼能登川で当時寮がありその衛生設備(要は便器とかの取り付け)の場所確認したりしました。昼飯はこれまたやぐるまってな名の店でご飯食べたりし、この寮の近くにある神社で昼寝と化していました。まさかその神社「西郡神社」の氏子になるとは夢にも思いませんでした。昼ここで休憩した後は大津でしてよくもまあ朝8時頃から夜10時頃まで働き続けたもんだと思っていますが今の私が結局そういった時間働いているので時が過ぎゆくともなんら変わってないわけなんです。

その大津、宅地開発などが進むとどうしてもこのような感じの田んぼが出来てしまいます。この田んぼの場合かなり地面からの落差があるのでトラクターとかコンバインの旋回が大変なのじゃないかなっと百姓した今になって分かってきました

今日は昨日とうって変わっての晴天。彦根市内では歳末の売り出しにどこもが忙しそうでした

芹川。これくらいの川幅の方が私は落ち着きます。そういや今年は「芹川クラブ」を開催する事がなかった一年で会員さんには申し訳なかったと思っています。来年こそは必ず開催しますのでよろしくお願いします

彦根の銀座商店街を越えてとあるお客さんの所へ納品を。銀座商店街もえびす講以来通過します。子供の頃だったら紅白の垂れ幕があってもう少しにぎやかだったような気がします

城町から本町に抜けようと走っていまして郵便局の前を通ってくねりと曲がるこの写真正面に民家がありますがかつてはここに銭湯がありまして、この界隈の方々のいわゆる社交場にもなっていました

腹痛石のあるところの前を通り

友人「も~ちゃん」の実家の散髪屋さんの前を通って夢京橋の方面へ

彦根・・・赤かぶらも有名なんですよ

年始に帰省される際の手土産なのかな?とにかくたねやさんはいつも大繁盛・・・私共も年始の帰省の際にはうちのどら焼きもよろしく・・・・っと宣伝しておこっと

中央商店街。滋賀中央信用金庫前のこのあたりに今から60年ほど前「福島さん」という方が住んでおられラジオ屋さんを営んでおられました。当時としては超ハイカラな名の「福島company(カンパニー)」という名のお店だったそうで、オースチンのオープンカー乗っていたそうです。英語が読めない当時の近所の人がこんぱにと呼んでいたそうで、その息子さん(今存命なら80歳くらい)同級生から「コンパ」というニックネームをもらっていたそうです。今こんなニックネームだったらまるで合コン好きの人みたいに思われるんでしょうね。

旧町名「水流町」この道路の半分くらいまで川があり、きれいな水が流れていました。私の小学校の頃の通学路で、金物を修理する職人さん、ちょっとした飲食店(飲み屋さん)、たこ焼き屋さん、駄菓子屋さんなど楽しい通りでした

実家近くの護国神社。幼い頃はおばあちゃんと毎年ここに初詣に行っていました。おじいちゃんは当時「軍恩会」というのに所属していて正月の4日か5日にはいわゆる「戦友」と会うのを毎年楽しみにしていました。

うちの実家は寄り合い所帯で祖父は長浜から養子に来まして、神教系を信仰しており祖母は浄土真宗でした。祖父が他界した時神様に御戻り願おうと言う事になったのですが、間もなく祖母が他界し、はてさてどちらさんに頼んで良いのかという事になり、知り合いの神菅さんに頼んで天に上がってもらったまでは良かったのですがこの祠っぽいもの、そこらにほかすのも具合が悪いと年一度掃除しているんです。

「お父さん、俺が吹いておくわ」と屋根を拭いたらポロリととれ

慌てて接着剤でとめました。何せ大正年間の物ですから・・・と、言うより能登川弁で言う「あらけない」拭き方したからだと怒られる始末。さわらんとこ・・・

実家を出て旧港湾の前を通り・・・釣り人がたくさんいらっしゃいました。この風景が私にとって落ち着きます。今日は配達しつつ実家にも行き又旧市内の細い道路を走りつつ思い出に浸ったりもしました。明日は朝からどら焼き製造・・・そんで大晦日は配達と棚卸、夕方から夜にかけて掃除しつつ毎年恒例の神社参拝など・・・少しづつプライベートでも年の瀬を感じ始めた寛珍でした

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