実家にて

昨日配達後に実家に寄り父親からとある頼みごとを聞いて帰りました。

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実家に行くまでの道中の写真、この建物は大学の寮で15年ほど前までここの学生食堂へ納品させていただいておりました。この食堂から見渡すびわ湖がきれいだったのが印象的でした。ここで働いておられたいわゆる「給食のおばちゃん」が引退されて新し業者さんが入られたこともあり私たち業者ごと入れ替わりました。この業界ではよくあり、どういってよいのか「お抱え」業者が料理人についてゆくシステムがあります。こうしてそこの大将について行くやり方、うまくいくときもあれば失敗するときもあり、20人くらいの社員寮の大将だった人がその会社の食堂を任され食数が20人から500人に膨れ上がり「やった~」と言うときもあればその逆どころか職人気質と言うか契約先とけんかしてやめてしまわれ、食数が100ほどあったのがゼロになった時もありました。また、入れ替わった委託されている会社から「法人でないと出入りしていただけない」と言われ当時大真面目に有限会社にでもしようかと思った時期もありました。今はこの有限会社設立はできない(平成18年に有限会社法が廃止されそれ以降このスタイルで設立できなくなった)ですが現在こうした法人でしなくてよかったかもしれないと思っています。とはいえ近い将来「合同会社」にて卸やどらなどの製造、店舗運営などを締めくくろうかとも思っています。その時はどこかの社員寮の食堂の大将してたりして

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右折する車、東近江市は旧八日市にある電気設備用機材卸の会社でして、35年前設備屋にいたころこの会社からいろんな機材を購入していました。換気扇などから制御装置まで守備範囲の広い会社で当時Yさんにはお世話になりました。Yさん、当時新婚ほやほやで私の上司はよく冷やかしていたのを思い出しました。多分Yさんのお子さんも30歳半ばくらいになっておられると思うのでYさんのお孫さんも中学生くらいになられたんじゃないかな

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この通りも今は交通量が少なくなりました。当時はよくスピード違反の取り締まりが行われていましたが今は取り締まるほどの台数もなくなったのかな?

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この付近にあったガソリンスタンド、私の同級生のお兄さん家族が経営されていていつも会話が弾むお店でした。セルフ時代になりガソリンスタンドは給油とちょっとした整備(オイル交換など)するくらいが中心の時代になりましたが当時は新車買ったら「良いの買ったね」とか「後ろのブレーキランプ切れてるよ」とかオイル交換中コーヒー出してくださり世間話したりとちょっとしたコミュニケーションの場でした。

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いよいよいろは松の「こも巻き」シーズンになりました。病害虫から守るための方法なのですが、これを見かけるといよいよ晩秋、そしてえびす講が終わるころには初冬と私は当時彦根でこうした風物詩や行事、催しで季節を感じていました。今は麦の播種が終わるころが晩秋とか農協さんの12月初めに行われる催し出店で初冬を感じたりになりました

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本題の実家にての用事と言うのは写真整理なんです。先日北海道、札幌に住む私の父の弟、すなわち叔父が数十年ぶりに彦根に1週間ほど滞在し、彦根はやはり私の故郷だと喜んでおられたと聞いたんです。叔父は転勤族で定年をこの札幌で迎え、そのまま札幌で家を購入し住まれたわけで、定年後も嘱託として働いていた叔父は中々帰省するタイミングなかった上おっちゃんの嫁さん、すなわち私の叔母は長らく認知症でそのこともあり帰省できず、昨年叔母が他界し妙に寂しくなり「兄ちゃん元気かい」ってな感覚での連絡が来るようになったんです。叔母(父の妹)が一度彦根でゆっくりしなさいと1週間程私の家(叔母の)でゆっくりしなさいと言うことから滞在していました。とても懐かしく、そして楽しかったと聞いて、当時の写真を再度アルバムにして送ってあげようかと父と二人叔父の幼いころや兄弟の写真などを選んだりしていたんです

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父親、よく戦前の写真など持っていたものだと感心しました。叔父に送る予定のないものも中にはたくさんあり

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写真がごったがやしているので中には母方の、私のじいちゃんが「志那事変」で出征するときの写真などもありました。生き死に掛けた出征から見たら農事の出役などたいしたことなくも感じてしまいます。ちなみに右後ろにいる女性は私のおばあちゃんでその前にいる肩に手をかけてもらっているのが母です。左の少女は数年前他界した母の姉、すなわち叔母です。なんだかファミリーヒストリアみたいですな。

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父のサラリーマン時代の写真なども数多くあり(元々父の写真中心なので当たり前か)、笑ったのは身を乗り出すにやけた人は現在近所に住むI明さんの若いころです。私の父はと言いますと左端でカメラ首からぶら下げていまして、デジカメ持ち歩く私と・・・似たもの親子でございます。また、数年前亡くなられたこれまた近所のTさんが会社の慰安旅行の宴会の席で仮装(どじょうすくいのような格好して)歌を披露している写真などもありました。縁って凄いものでこの両名のお子さん、現在連中(お宮さんを世話する同世代の集まり)なんです。また驚いたのはこれ、電車でなくバスでして今みたいにシートベルトも何もあったもんじゃない時代だったんですね。I明さんで今だから言いますと昨年この方の圃場が転作地で隣との境界をつけるために打ってある杭を草刈り機で飛ばしてしまい、「だんないんやけど(別にかまわないが)何かしるしを」と言われ四角すいの杭を農業倉庫で見つけその後にもう一度打ち込んだんです。しかしながらその杭、民間の境目の杭でなく国交省の官民境界の杭だったらしくこれまた誤りに行ったんです。Iさん「もうかまへん(これで良しとしておくよ)わ今は杭打っていなくとも境界はわかるし、何か目印さえできたったら」との事。叱責するどころか「お前も百姓するなんて思ってもみなかったやろ?ましてや改良組合長。ようやるわ」と同情されてしまいました。父から聞くところによると私が幼稚園にゆくまでの幼いころよくこの方が家に遊びに来られていたらしく、妙な縁を感じまくっていた写真整理のひと時でした

 

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慰労会

昨日、転作に伴う播種作業が終了し出役してくださった方々の慰労会が行われました

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組み合長さんの御礼の挨拶から始まったご苦労さん会

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楽しいひと時を過ごさせていただきました。よくこうしたピンボケの写真しかないですが、極端な人物特定できないのでこれでもよいかと思ったりしています。私はなるべく人物が極端に特定できないよう正面から撮らず、後ろ姿とか横顔くらいにと心掛けています・・・と書けば気を使っているようにも聞こえるのですが数千円で買える画素数の低い安物のデジカメで撮っているからと言うのが本音なんです。いつでもポケットに入れて持ち歩くわたまに落としたり(よく落とし、2台ほどパアにした)するので極端な話使い捨て感覚で使用しているからと言うのもあるんです。ブログ始めてから4台ほど買い替えたりしています。デジカメに関してこだわりはないんですが、唯一「乾電池」タイプのデジカメを持ち歩いていることで、充電することせずよくそこらにほったらかしにしたりしているのでバッテリー残量気にせずなくなりゃ単3電池2本交換すりゃしまいと言うのが私の気に入っている点なんです。でも、乾電池タイプは中々ないんです。数千円のか高級のかの両極端ですのでそれならと・・・

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身動き取れないけど

チキンを燻していると持ち場から離れること出来ないですが今日は色んな方からの連絡や訪問頂きました

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とにかく燻している間の煙いこと煙いこと・・・

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農事関係の副組合長さんから明日の転作に播種全行程終了のご苦労さん会ようにビール冷やしてほしいとの事で預かりました

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明日は麦の圃場の「除草剤散布」、同じ班にけ〇んごちゃんとかいるので心強いです。燻している間は出かけることができないので家内に「えいちゃん」とこに配達頼みました 

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ちょうど燻しあがった後だったので少しおすそ分けを

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さっそくえいちゃんからお礼のメールをいただきました。そのほか今日ばいっちゃんが10年ぶりに訪ねてきてくれたりで楽しくも懐かしい一日でした

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