虚脱感というか

農事関係もそうですが何かと忙しく過ごしている今年度ですが、商売の方がひどい状態で立て直すのにどうしようかと深刻に悩んでいます

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配達段取りしていた時に入った電話、「きたよし」さんから例の麦の圃場がえらいことになってるとの連絡。皆さん心配しておられる、組合として現在どのような対策等を行っているかなど生産組合員の皆さんに現況報告しようかと思っています。そういった事にも気を取られながら向かうは湖北から湖西方面への配達。昨年3月あたりから12月あたりまでまともな配達などしていなかったため得意先も他に取られたりとひどい状態で、極端なこと言えば卸売りなんて私がいなくとも他どこからでも仕入れられるので何となく私の存在感なんてないんじゃないかとさえ思っています

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彦根市内のとあるお店。仕事での関係ないお店ですが業者さんが来て改装工事されているみたいでした

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このお店の屋号、前からこうだったっけ?

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こうしたキャッチフレーズのマンションですが、ネットが流行り始めたころのキャッチフレーズで、スマートフォンを「スマホ」と言うように今や「ネット」というご時世に正式名称で謳っているのも珍しくさえ感じます。

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ガソリン価格、高値安定のような気がします。 ハイブリッド車もそうですが、町内にもD君の家など電気自動車に乗っておられる方もおられたりといよいよ電気自動車時代の幕開けと共にガソリンの需要が少なくなりつつあるから皆さん価格を気にしなくなったのかな?ちなみに記憶間違っていたら加筆訂正願いたいのですが、今から50年以上前彦根市内にある某紡績工場の社長さんが小さな電気自動車に乗っておられたと聞いたことがあります。社長さんは早朝から勤務されておられ、朝方6時過ぎに出勤される時電気自動車なので無音だったそうですが、当時の車体がミッション者でなおかつエンジン音がない代わりにキュルキュルといった音がしていたとも聞いています。ほんとハイカラさんだったんですね

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立花町界隈も景色が変わりました

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右に見えるのはNTTさん。この写真左後ろあたりに40年ほど前「金子歯科」さんがあり、洋館建ての2階が診察室だったのですが、小学校の夏休み、歯の治療で母親に連れられて行ったときの事なのですが、夕方のそれも雷雨がひどい時でして歯の治療の恐怖よりその場所そのものの方が怖かった記憶があります。。多分その頃テレビで放映されていた「怪奇大作戦」という番組のいちシーンと重なったからじゃないかな?

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こうした道は私の小学校の頃の通学路。左側には川が流れていて飽きもせずにその川の流れを見ていました

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このマンション、大蔵省(現財務省)官僚の官舎でして中々の豪勢なマンションです

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彦根市役所も改装中です

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長浜市内。私の友人の奥さん、結婚なされてからかれこれ30年ほど経つのですがいまだに「やんす」と言われます。近所の方でも次年度副組合長さんのお母さまも言われますし、消防団で私が班長していた前任のYさんも言われたりされましていわゆる方言は身に染みこんでいる方は中々抜けないもんです。私でもたまに「ういわ~(申し訳ないねってな意味)」と言ってしまいますし、八日市方面の友人は「じょ~」と最後に付け加えたりしています。例えば美味しいよと言うのを「うまいじょ」と言ったあんばいに言ったりします。彼に一度「明日のジョーだよ」っていうのは「明日のジョーやじょ」って言うの?と聞いたら「言わへん」と返事が返ってきました。 ちなみに長浜の昔の人は「来られた」というのを「ごんじゃった」と言われます。

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木ノ本付近はこのように雪が残っていました

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西浅井というこの場所は前いた会社の同僚とよく遊びに行った場所でして、この町は通過点でしたがこの近くにあったお店で(当時はコンビニなどなかった)お菓子買ったりして敦賀方面に向かったりしていました。また、彼とは何かとよく行動を共にしていてカラオケでも当時流行っていたとんねるずの「雨の西麻布」をもじって「雨の西浅井」ってな替え歌を歌ったりして楽しんでいました。また、彼のお姉さんが今津に嫁いでおられることもありドライブからの帰りにお邪魔したこともあります。その彼が結婚したのがちょうど30年前、招待状もらったのですが偶然幼友達の結婚式と重なりまたその友人への返事をした後だったので元同僚(この時点で私は商売始めて2ヶ月経っていた)には欠席させてもらい、元同僚の結婚式の前日に彼の住む長浜に行きお祝をさせていただいたことがありました。遠い遠い昔の事です。こうした昔話も春先から増えるんじゃないかな?

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雪が降らないので工事も順調よく進むんじゃないかな

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こうしたレジャー、観光、お参りなどに関しての看板が目立つこの界隈ですが、なるほど先ほどの思い出の話の当時から見るとあまり人が来なくなった地域なように感じます。奥琵琶湖ドライブウェーも30年前の当時は走ったりしていましたがもうほとんど行く予定もないですし、今の若い方々もあまりその手のドライブウェー利用しなくなったような気がします。子供が幼いころの数年前、それこそ久しぶりに家族で福井県の三方五湖に行ったのですがとにかく「寂しい」というのが感想でして、子供は周りに人がいなさすぎるから寂しく感じ「帰ろう」の連発でした。史跡名勝観光地も時代と共に変わるものなんだなあ~

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このお店がまだそこらになかったころわざわざここまで食べに来たことがありました。私はあまりこってり味は苦手だったのですがここのは好きでした。いまは・・・あきませんわ~現在40歳代の方に申しますと若いころはこってりでも大盛りを平らげられますが還暦近くなると食えなくなるもんです。

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この農協さんには妙な思い出がありまして、37年ほど前彦根の「北村石油」でアルバイトしていたころ航空燃料の配達の助手でこの近くの倉庫に行ったことがありました。航空燃料、ヘリコプターで農薬散布するときのヘリコプターの燃料だったのですが、普通の燃料と違い「オクタン価」の高い燃料で、県内ではアルバイト先のこの会社が取り扱っておられました。また、現地への配達確認ということで、現地の「改良組合長」さんへ挨拶したりしていたのですが当時「何を改良する組合長さんなんやろ?」と妙な団体名だと思っていましたし、その方々が「〇日、朝5時から作業します」などと話しておられるのを聞いて朝も早よからご苦労さんなこってと文字通り他人事のように百姓は大変やな~と思っていました。まさか37年後ラジコンとはいえその散布する現場責任者の「改良組合長(今は農業組合長と言う)」になるとは夢にも思いませんでした。しかし、ヘリコプターでの散布、この躰光寺も昔はそうだったと聞いていますが私はその時代のこと知らないんです。それがゆえに15年ほど前に能登川の山火事が合った時、O町のSまた君が自衛隊のヘリによる消火活動見て農薬散布していた時代の話ししていた内容について行けなかったことがあります。やれその後車を洗った、夏場でも窓をしめていたとか私は「へ~大変やったんですね」としか言いようがなかったです。教訓として何事も他人事のように聞いていると将来我がことになるかもしれないので人の話は自分の事のように聞くようにと心掛けるようにしました。

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 3:47:44  コメント (0)

年賀はがき

今年度の年末年始は年賀状もまともに出せない状態でした。

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で、この年賀はがきなんですが郵便局も小粋なことしておられるみたいで

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この部分、よく見るとこの線に「あけましておめでとうございます」と書かれてあるんです。ほんとです・・・みなさん虫眼鏡で確認されてはいかがですか?

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 23:17:13  コメント (0)

土改新年会

私は農事の役の関係上能登川地区土地改良区の役も兼ねておりまして、昨日はその団体の新年会に出席しました

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まず会議ということで寄せていただいたのはコミュニティセンター2F和室。

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我が集落からは代表理事のHむさんも出席しておられ、会議始まる前各転作のことなどの相談に乗ってもらっていました。例の小麦の圃場の鳥、オーバンによる被害について対策のアドバイスや経験上どのような対処すればよいか伺いました。Hむさんも「俺もその手の被害聞いたことないし少なくとも平成になってからこんなの初めてやないか」と言っておられました

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会議の議題はこの春から稼働するポンプのお話です

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その「案」を手に昨年の試運転など思い出したりしていました。今になって気づいたのですがこのポンプ、通常は朝7時からの稼働は知っていましたが夕方5時に終えられること、なぜか私は夕方6時までとばかり思いこんでいました。と、いうことは田植えした後少し圃場に水入れたりしますが早めに水入れながら植えないといけないんだなあ~と今更ながら思いました。それにもまして今さら聞けないことがひとつあったのですが、うちって・・・何号分水工・・・?

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そんで場所を移しての新年会。始まる前の様子

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先月もこの場で東能登川農協管轄の組合長会が行われ、二度目です。新しくできたこの建物ですが二階から上は住居(マンション)なので今は入居者はいないそうですが入居者が出始めたらマイク等でのお話し、カラオケなどできないそうです。

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この日は市会議員、県会議員、国会議員の方々も来ておられ、豪華な顔ぶれの中での新年会でした。ちなみにこの写真右に写る方といろんな話に花が咲きました。家内の同級生ということで、うちの近所の次年度農事関係の役員さんの話、いつもお世話になっている方の弟あっちゃんの話、垣見のみ~ちゃんの話などしていました。そしたら某集落の方が歳いくつか聞かれ、彼は昭和45年生まれだろうと話したらその方「万博の年に生まれたのがいよいよこうした役になるんやな~」と言っておられました。彼らの事、よく「新人類」などと言われていたそうですがじじいの私など「現代っ子」と言われていたり、はたまたうちの子らは「ゆとり世代」と言われたりとよくもまあ世代をひとくくりにしたりしてくれるものだと思ったりの新年会でした。ちなみにメディアで年を感じ始めたのは20歳頃は高校野球見ていて彼らが自分より年下と気づいた時や30歳半ばの頃相撲取りが自分より年下と気づいた時でした。市長さんがご挨拶の時私はいまだにガラケーだと話しておられまして、年配の方は皆さんスマホ持っておられることにスマホの浸透具合の話ししておられましたが年配の方、指が乾燥してスマホが反応しないとも話しておられたり、極めつけはついくせでスマホ操作するとき指に唾つけたりと機械が新しくなっても「癖」は変わらんもんです。笑ったのは昨年とある集まりでインスタに上げてる方の話でインスタ映えがとの話題が出た時インスタというハエがいると思っておられたのには笑いこらえるの必死でした。ちなみに携帯、私は今もガラケーです

Filed under: 美湖母湖モノローグ — admin 7:23:55  コメント (0)