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二五八祭り
今日は八日市地区で行われた二五八祭の中の「物産祭り」で出店しました

毎度のごとくもたもたしている私

割当てブースから見る外の風景。ちなみに私たち一般人は「ブース」と呼んでいますが露店を営む方々は「地割り」などと呼んでおられます。

イベント前の打ち合わせ。観光協会会員さん方の意気込みを感じられました

オープン直後でこの人波。今日は中々多忙だろうと気を引き締めていました

んで、私は観光協界のハッピ着ての売り込み。イベント終了までなんやかんやと売れて有難いです。

イベント終えて帰宅するときに見た会場。空・・秋・・もう晩秋ってな感じです
今日はやります・・・
お休みが続きお客さんにはご迷惑のかけ通しです

どら焼きをしこたま作っていた関係で夕飯の支度も何もなく・・昨日の夜はカレーを食べに行きました。このドラマとのコラボらしいです。で、この番組のスポンサーの一部は確か味の素などでした。このカレー屋さんはハウス食品の系列なので何らかのスポンサーになっていたからなのかなあ~と思ったりしつつ3辛のカレー食べていました

最近の会社の面接ではしてはいけない質問等ありますね

履歴書にも昔のように「家族欄」とか「続柄(つづきがら)」記入欄ってなのも無くなりましたね。ひところ圧迫面接なんてのもありましたが昭和59年頃もそりゃひどかった時代でした。近江八幡にある同族でやっている印刷会社の面接などひどいものでした。あんまりにもひどい面接なので「君、うちの会社をどう思う?」と聞かれ、「身内に甘く他人に厳しくその割には従業員が言ってもいない家族的な会社だと言っているのが不思議です」と言って追い出されたことがありました。その数年後、経営陣の一族が追い出されましたので結構私の言ってることって正しかったんだよなあ~と思ったりしています。
妙に懐かしく
若い頃仲良くさせていただいていた方がいて喫茶店でお話ししたりの間柄でした。ある時そのお店の壁に政党のポスターが貼っていて彼女が熱心に話していたことを思い出しました

この60年代、洋菓子の「パルナス」のCMに出てきそうな少女の写真みて思い出しました。そういやあのCMの歌詞で「おとぎの国のロシアのお菓子」なんて言っていてまさに共産圏礼賛・・・んなわけないか・・話変わるが昭和30年代生まれの私たちは今でいう「ホームレス」もう少し口悪く言うと「乞食」のことを「ルンペン」なんて言っていました。これはドイツ語で「ぼろ布」に由来し資本論でおなじみのマルクスさんが「ルンペンプロレタリアート」という概念を提唱したことで広まったワードと聞いています

後に英語圏の貧乏は「poor」と解釈したことから時間に追われる労働搾取される側としての皮肉が流行しました

同じく毛沢東さんの言葉の中にも貧しい人は慌てているのに暮らしが良くないということを話しておられ、日本においては「慌てる乞食はもらいが少ない」と別の解釈で・・すんません・・作り話です。ルンペンの話まではほんとです。ちなみに当時仲良くしていた人とはその年の年末、中曽根内閣の時の総選挙の時山下さんを応援する私と瀬崎さんを応援する彼女とで大喧嘩になってしまったことを思い出しました。これ・・ほんとです
能登川ふれあいフェスタ2026
今日、ふれあいフェスタ2026が行われ私ども美湖母湖もどら焼きとスモークチキン販売の為出店しました

朝の時点での様子。とにかくイベント、雨ばかりでこのふれあいフェスタも3年目にして久しぶりの開催です

積み込んだ荷物と共に

許可車両の私は敷地内に入らせてもらいました

準備段取りの様子

私のブースの後ろの方も出店段取りに忙しそうでした。でも・・・雨、頼むからきつく降らないでほしと願うばかりでした

こうした方々の出店・・・

水産関係の方も気張っておおられました。あたしゃこの「八珍」というワードになぜか親しみ感じておりました

ともかくスタート前の状況ではありますが

雨さえ・・皆さん口々に話しておられました。オープンからドドドッとはいきませんでしたが「ほどほど」売れたフェスタでした
独り言
車検をお願いに行きました

私達家族はここに車両全てをお願いしています。技術(腕)の良さももちろんですが親切で丁寧です

作業小屋から子供たちが遊んでいるのを眺めていました。小さな男の子が雨の後の水たまりに、足をバシャ~ンとさせて隣にいた女の子にかかり、女の子は泣いて帰宅しました。それを遠くで見ていた彼のお父さんがびっくりして「なにしでかいたっ!〇〇ちゃんのところに謝りに行くぞ!」と彼の手を引っ張り、私の家の近くの彼女の家へ。彼、なぜに謝りに行かねばならないのかわからないのか彼女の家でピンポーン・・・そしたら彼、元気よく「お~いっ!誤まりに来てやったぞ~っ!」お父さん、「躾なっていなく大変申し訳ありません」・・・明るいのも時と場合を・・・ですな

やけど後の診察の為八幡へ。9月あたりから駐車場の精算システムが導入されたみたいで皆さん戸惑っておられました

この橋、前回も前々回も通る時工事していたような気が

生協さんの直営店っとでも申しましょうか、安心な品が売っておられそうな気がします。ここで生協関係の方がよく口にされる言葉「供給」なんですが、この店でもその言葉なのでしょうかそれとも販売なのかなあ~

このホテルも現在やっておられないと思うとなんだか寂しいです。

遅めのお昼はここで

手ごろなランチセットを

あたしゃ唐揚げ定食をいただきました。

最初ここにしようかと思ったのですが大津以外にもありますので先ほどの店でランチしました。その後また琵琶湖大橋渡って帰宅しましたが20年ほど前は子供たちのおもちゃを買うためアメリカ発のあの大型おもちゃ屋さんに行っていたのを思い出しました。その後彦根にもできたりでクリスマスの時期などよく寄せていただきました。あのお店の会社、今月「民事再生法」で簡単に言えば倒産しましてほんと先ほどのホテルもそうですが25年ほど前当たり前にあったものがないというのも寂しい限りです
体・・・楽っ!
昨日は土地改良という団体の総会の為店、お休みさせていただきました。二日連続の休みは足のやけどの関係で体・・・楽です

立場は「理事」。普段の農業関連と桁の違う金額が動く団体です。

こうした書類、恥ずかしながらおおよそのことは分かるのですが全体の予算や配分、補助など仕組みはあまりわからないままです

こうした市、県、国への要望などして下さってます。「小難しい」事は分かりませんがこうして土地改良は事業を推進する事だけは分かった寛珍でした
今日は関係機関に・・
おかげさまで店を運営して6年。6年目の店、営業許可の継続の関係で出かけたり商工会関係の書類などの問合せに出かけたりの一日でした

申請書類に貼る収入証紙、なんと今年3月で「廃止」になったんですね

んじゃ申請手数料はどのようにしてかと申しますと

きょうびこの手の決済

会場の保健所

受付で

「ピョロリン」・・・時代、変わったなあ~

いろんな衛生面での勉強をさせていただきました

次の目的地に行く前に切手を購入しようと郵便局に寄りました。へっこへっこと頼りなさげに歩いている私の姿見て郵便局員さんが「高麗人参ってなのも効きますよ」・・・これまた郵便局も変わりましたなあ~

んで昼頃には商工会本部。今後10年ほど店するならばの「万が一の」保険関係、補助関係、給付関係など多岐に渡る資料を受け取りに・・・体、持ち堪えられるか分からないですが今回のような怪我した時の為にも資料だけでも整えておかないと・・・そんなこんなで半日関係機関に行っていた寛珍でした
連休いただいて
昨日はおみやさんの世話する団体の大切な「寄り合い」があったので休みました

臨時休業。昨年同様今年もかなり日数です

取り決め事項など大切な打合せでした

杖ついてみました。タイルで杖・・・滑らせ顔面から・・・トホホです

近所で杖つく女性がおられその方はいつも「公衆道徳も守れん人は・・」なんてよく怒っておられる人なんです。その日も道路に動物のフンが落ちていたこととに怒り「こうしたのを始末もできないで・・・」とご立腹!杖で転がして溝にはめられました。そこまではよかったのですが

その杖で「ピンポ~ン」・・・あのねえ~と思った寛珍でした
秋なんだなあ~
秋の空は高いですな。昨日は彦根に用事があり家内に運転してもらってインターチェンジ近くにお住いの仲人さんところへ行きました

インター近くの風景、この近くに大きな土産物屋さんがありました。そこにはレストランがあり観光バスがとまったりで盛況でした。このオーナーさんから「最近の問屋は土日休むので書き入れ時に食材切らせば大変だ。そこで君(私)、材料を納品してくれないか?」と言われたことがありました。現在のお客さんで手いっぱいを理由にお断りさせていただいたことがあります。この文脈から断った真の理由お察しください

この会社は残業が多いと勤めていた人が私に話してくれましたが、私は残業どころか休みもない会社にいたので土日も出勤していましたので土日や通常残業を合わせると月間200時間ほど残業していたのでびっくりしませんでした。

秋はこのシーズンでもありますね。こうした尊いご寄付でいろんな福祉活動が行わあれるわけですが1500万円が集まるこの寄附、金額だけ考えればいかにたばこによる税収が大きいかわかります。たばこ(580円の)ひと箱に131円の税、喫煙者が納める東近江の税金はトータルで年6億8千万円・・・私はたばこやめてしまいましたが喫煙者の皆さんは場所さえわきまえたら高額納税者たちなんだから堂々と吸ってもよいのではなんて思ったりします。
すまんこってす
やけどして2週間。治癒までなかなかで、その間いろんな方にご心配、ご迷惑かけ申し訳ないこってす

とにかく「皮膚移植一歩手前」というほどでしたのでしばらくこんな状態です。痛みもまだあり、今やロキソニンが離せない毎日。今まで私はこの薬を服用したことなく周りに聞いてみたら結構服用している人っているんだなあ~とわかりました。良く服用していいる人から「Sか・・・私はプレミアムだよ」なんて言われたりしてロキソニンの奥の深さを・・・とまで思ってはいませんが周りは結構いるもんだとこの歳になってわかりました

あまり歩いたりができないのでこうやって燻してじっと出来具合見ることしかできないです。そうした時にはいろんな店の将来など「妄想」しながら作業しています。よく親友「にし」と酒飲みながら、酔いがまわると車いすごと乗れる乗用車で旅行しようとか、店の裏の数坪の場所にカラオケ小屋作ろうとか・・・にしの奥さんから私たち「妄想族」と言われています

そんな事自分に「ほら」吹きながら聴く歌は毎度おなじみの古~い歌。昭和50年代に活躍したサーカスというグループの「ミスターサマータイム」ってな歌聴き、当時(1978年)あの年だけやたら暑くそれがゆえ陽炎ができたアスファルトの上をカワサキのバイクSS250で走っていたよなあ~とかヴァンゲリスという人の南極物語のテーマソングを聴き1983年の夏宮崎県の観光地「高千穂峡」「鬼の洗濯岩」とか観光し、車で移動するときに流れていいた曲だったなあ~なんて思い出したりしていました。寒い南極の物語の曲を南国の夏に聴くというギャップもありましたがこの映画好きだった人の選んだ曲なのでと思いながらでした。
連日休んで・・・
ほんと申し訳ないこってす。家で何とか歩くのが精いっぱいの情けない寛珍

買い物も初の車椅子での・・・店休んで家で横になっていると

暇なので投与している薬なんかを調べたりしています。このスプレー中々の優れもので皮膚を内面から再生さす薬なんです。グロテスクなので患部はお見せできませんが少しずつ効果現れています。また「ついでに」普段服用している薬なども調べたりしているうちにいろんなことがわかった気がしました。薬って調べればすんごく奥が深いものですね。それを学問として究め資格を取り仕事として活躍している「はっちん」「うえっし」には尊敬です。
長期戦か・・・
やけどしてちょうど一週間。この日指定されていたので病院に行きました

元々お医者さんに処方されていたのは「カロナール」でしたが切れたので2日ほど前からロキソニンを服用して痛みをこらえていました。ところが副作用で腹痛が激しくやめることにしました

着いた病院。結局ここの循環器科に通っていたのでなんだか「戻った」ような変な気持ちでした

人生初の車いす。治るのには時間かかりますとの事。とにかく痛みだけは取り除いてほしいです

帰りお店に立ち寄っての食事なんてできないのでハンバーガーのドライブスルー

帰りに包帯とかを買おうと思っていた店、撤退されていました。ともかくこの痛みが今月いっぱいで取れれるだけでも何なりと行動がとれるのですが・・・本日この痛みの為臨時休業させていただきます…ほんとすみません
数歩ぐらいなら
家内に運転してもらい業者仲間から分けてもらいに問屋さんへ

「どうなさったのですか?」と聞かれるのもどうかと思い家内に社屋に入ってもらいました

道中の中山道沿いにある町。この辺りには中学校の頃の同級生が住んでいました。ただ、この地域は「旭の森小学校」学区で私の実家の「城東小学校」学区からかなりの距離があるため学校では毎日会っていましたが休みの日などにプライベートで会ったことなかったです。

商品の引き取りくらいならば家内に行ってもらえばよいのですが実は実父が施設内で高熱だし、急遽病院へ戻った関係で必要書類などへの署名、捺印せねばならないので入院先へいった次第なんです。院内、よほど車いす借りようかと思ったのですが

父に心配かけるのも良くないと思い歩いて病室まで行きました。でも歩き方が変なので分かってしまい65の爺さんの体を95の大爺さんが心配することになってしまいました。すぐわかるんだったら車いす借りればよかった・・

帰宅までに立ち寄らねばならない所がありその帰りここでお昼しました。そこで見た「めいらく」さん、「スジャータ」でおなじみのあの会社です。ずいぶん前この会社にと就職の案内(転職勧め)もらったことがありました。前の会社辞めたのが8月、自分で商売したのが10月、その2ヶ月の間に案内いただいたことがありました。その時無知な私は「スジャータって何ですか?」と聞いたことがありました。今なら検索「ぽちっ」で分かるんですが当時はなかったので・・・お釈迦さんに「乳粥(ちちがゆ)」出したインドの女性のことらしいんです。なるほど・・・乳製品に関連しているからか~なんて勉強になったのを思い出しました。ほんとにありがたかったし私のようなものでも雇ってくれているのかと思うとうれしかったですが「10月から商売しますので」と遠慮させていただきました。
怪我・・
シルバーウィーク真っ盛りに怪我しましていろんな会合、祭などあるのにと弱っています

家の中、店くらいは歩けるのですがそれ以上は痛く、秋の大祭は副組合長に代理で参列してもらおうかと思っています。明日にでも氏子総代、宮世話代表、自治会長に報告する予定です
何気ないことですが・・・
先ほど食器など洗い物していたら

何やら怪しげな電話が鳴りました。留守電になっていたので聞いていたら自動音声で「郵便局から大切な連絡です。今すぐワンを押してください」とのメッセージ。普通「いち」を押してだとわかるのですが、ひょっとしてこのメッセージの人は私の今の作業知って下さっているのかなあと思い

碗を押してみましたがなんともなく電話はぷつりと切れました

昔はいたるところに自販機ありましたなあ~

脱酸素剤。昔同業に「仲間分け」していた時期があったのですがその分ける先の大将、「しょ~むない」こと言う人でして「おっ!来た来た・・・バイタロン~男~っ」それ髪の整髪剤で昔はやっていた「バイタリス7000」のCMの歌やないのと突っ込むまで歌うので突っ込まなかったらそれ以降言わなくなりました

妙に視線感じるのでその先見たらわんこ・・

すごくインパクトあるコメ袋の絵ですな

こういう靴ってきもの屋さんにお勤めの若い男性が履いているイメージです。昔父親と京都の料亭に行くことがありました。その時料亭の手前で「ひろちゃん、靴不拭いとき」と言われ拭いたことがありました。後年「あの時なぜに?」と聞いたら「格式の高いお店は靴の汚れ具合や良い靴かどうかなどチェックするからだよ」と言われたこと思い出しました
奉仕活動
今日は日本赤十字奉仕団の一員として運動公園の清掃作業及び消防署員さんの指導による救護等の勉強をしました

いつものことですが女性方、年齢を重ねられるとどの人見ても同じに見えます

私は主に階段のところにこびりついている「こけ」をとったりしていました

その後災害時等に「ペール缶」利用したストーブの説明を受けたり

とっさの時のAEDの使い方など学びました

こうして奉仕作業を終え仕入れに走りました

途中見かけた建物。こうしたコミュニケーションとれる場所があるって良いですね

私、最初店はこんな感じでと思っていました。しかしながら店の両隣は畑なので虫が大量によってくるし寒いわ暑いわで持病持ちの私には耐えられないと判断して今の店のスタイルになった次第なんです。でもこのようなスタイルの方男鹿「あじ」があっていいなあと思っています
今日の開店ちょい遅れるかなあ~
用事で京都に行きました

能登川駅。電車に乗るのも五月の連休、彦根の実家に行って以来です。当時能登川でお酒飲んでいたので電車使った次第でしてそれ以来とは久しぶりです

んで京都

とある打ち合わせの時ビルから見た向かいのビルの様子。ちょうど正午だったので食堂で喫食されている様子が見えました

打合せ終えて蕎麦屋さんへ

おいしくいただきました。

地下鉄、利用するのもかれこれ20年ぶりです。気づいたのですが地下鉄って電気は「下から」供給受けるものと思っていたのですがこの地下鉄は「パンタグラフ」から普通通りになんですね。

このお店最近できたお店です。なんと営業時間は朝5時まで。「気張りはるなあ~」なんて思っていました。今日はとある打ち合わせで4時間ほどの間に京都往復・・・結構疲れました。帰宅して各仕込みし始めていますが5時半オープン・・ぎりぎりです
もう130年も経つのか・・・
今日は防災訓練などの日でした

こうした集合場所に避難する訓練を行いました

その後神社にて「水害祈年祭」がありました

お参りし

清掃奉仕活動を行いました。この祈年祭、今から130年前の明治29年に琵琶湖洪水がありこの地も数メートル水につかり200日程水が引かなかったと記録にあります。で・・・

親友「にし」の親戚にカナダにおられる方がいます。そのカナダ在住の親戚の方はその水害に時に仕事を失い移住されたと聞いています。特にこの八坂近辺の方の移住が多かったと聞いています。皆さんご存じかはわからないですが映画「バンクーバーの朝日」に登場する人々はいわゆる彦根人が多かったと聞いています。そうした歴史的背景をちょい探るのも面白いものですよ

ちなみに神社の奉仕作業後お寺裏の川掃除も行いました。このお寺に字は忘れましたが「かいおん堂」ってなのがあり、昔はそこまで湖があった。すなわちこの作業している場所は湖だったそうです
昨日も今日もそして明日も
何かしらせねばならないことだらけです

この料理屋さん。ひところ頻繁に寄せていただいていました

なるほど病院前での販売か・・・妙案かもしれないですね

天気よいので洗濯。珍しく私のこの服、ポケットがついているんです。若いころはこのポケットにたばこ入れて出歩いていました。そういった意味で最近ポケット付きなど着なくなりました

この店の話ではないですが、私の年配の先輩方は「歌声喫茶」なるものに通っておられたと聞いています。私の知る方はそうした喫茶店でみんなで「友よ~夜明け前の~闇~の中で~」と歌っておられました

彦根梨を買いに

きょうびなんでもデジタルですな

並んでいても買えず

このおいしい梨

ほかの直売所に行くことにしました

この施設にあってホッとしています

その施設から見る風景。この辺りに平成1桁頃までスーパーマーケットがありました。その敷地内に友人が喫茶店を営んでいてしょっちゅう寄せてもらってました。彼はその後八日市でレストランしたりしていました。何もかもが面白かった時代の彼と私でした
時間ないなあ~
実父のことで各施設などとの打ち合わせで昼の2~3時間とられるので店の開店もぎりぎりです

テレビ見ていて最初食品卸会社に勤める友人かと思うほど似ていました。彼、その会社の取締役で彼無しにはその会社が回らないと聞いています

かつとか

コロッケとかおいしいのを探しています。2ヶ月、うちの前好評のメニューだったコロッケが入手先倒産により入らなくなったため新たにと思ってはいるんですが・・・

これは昨日とある用事で大津に行った時の旧国道161号線の風景です。40年前この近くに小粋な店があり、その倒産した会社が開いた「お得意様懇親会」があり私も招かれた思い出があります。その時「ポリポリ」というニックネームの方がおられ、「なぜにぽりぽり?」と思っていました。交流の時間、いわゆる歓談の時間私はその方とお話ししていたのですがとにかく妙な自慢するんです。やれ〇〇カントリーの会員権をとか、シーマって乗り心地良いなどそれで私はお上手のつもりで「その商いの方法また勉強させてください」などと話すと「いや~」と照れ、頭をかく素振り見せて声を出して「ぽりぽり」というんです。横からその倒産した会社の社長が私にその人が先月「美人な」人と結婚したと話すと「美人ななんて・・・」とまた声を出して「ぽりぽり」・・・妙に不快な人だなあ~と思ってました。その後彼は正式にお父さんの後を継がれ手広く商売し、副業の株で巨万の富を築いたやに聞いていていました。その数年後バブルがはじけてから彼を見たという人聞かなくなりました。今も耳に残る「いや~ぽりぽり・・・」

彦根の銀座での工事の様子その隣の店の中華そばは絶品です

マックもよいけどモスも好きです

落ち着いて食べられますしハンバーガー屋さんというよりちょっとしたレストランってな感じですね。うちの店など飾り無し、音楽もなし、プレハブ・・・ほんますまんこってす
休みでも
定休日でも私用ですることいっぱいです

まず朝・・明日が「つり」ましてとんでもない時間からのたうち回っていました

スマホの調子おかしく見てもらいに・・・ついでに乗り換えました

このような言い方って(ありがとうだぉ!)マスコットとしてかわいく聞こえますね。昔ですねんけど宮崎県の方とよくお話しすることがありました。その方の話し方って昔のアニメ「うる星やつら」のラムちゃんっぽい言い方でした。「好きだっちゃ」ってな言い方でなんとも可愛ゆく聞こえました

そして寄せてもらったのはとある施設。見学と申し込みかねてです

いろんな楽しい企画等されているみたいです

ねるとんって・・・95歳で嫁はん14年前に亡くした「ボツ(没)いち」の父にもきっかけってあるんやろか?

その施設見させてもらって

次は現在入院中の父のもとへ。小ぜわしく面会したのち

書類等確認の為実家へ。向かう途中中学の同級生の家の前を通りました。彼は薬屋さんのせがれで薬剤師の資格持ち活躍していると聞いています。薬剤師などいわゆる「資格」持っている人って良いよなあ~なんて思います。でも彼は家の店継いだわけでなく医療系調剤薬局に勤めているので考えようによったらその方が安定収入で・・・良いのかもしれないね
総会・・・
昨日私の住む町の総会がありました。

会場は能登川コミセン

私は開催する側の役員として準備しました

農業組合長の私の挨拶。とある不手際について

皆さんの前でお詫び。よくテレビなどで見るぺこりと頭下げるの・・・まさか私もするとは思ってもみませんでした。総会、無事何事もなくいわゆる「シャンシャン総会」でホッとしている寛珍でした
何曜日か分からなく
今日って金曜だよなあ~なんて独り言してしまうほど曜日感覚なくなってしまいました。

木曜日の昨日にいわゆる「コメの概算金通知」が来ました。本来24日くらいに出ると聞いていたので今から配るのなら日曜日にある「農家総会」にて配った方がよいと判断し、総会資料に入れました

実家に立ち寄り戻る時に通ったこの道。ここは彦根市内船町です。友人「へぶちゃん」や先輩方が多くおられた町です。

その船町の通りを進んだところにあるマンションとマンションの間の通り。60年ほど前この先には「踏切」がありました。踏切だった箇所、アンダーになったり陸橋になったりしましたね。陸橋は陸橋で幼い頃電車好きだった私は飽きもせず夕暮れまで眺めていたりしました

マックもタッチパネル。あの「いらっしゃいませこんにちわ~なにになさいますか~?」が聞こえなくなりましった

ピザ、どんぶり、バー・・いろんな楽しみ方がありそうです。ひところ「ワインブーム」ってなのがありましたね。30年ほど前、彦根でとある方が「うどんとワインの素敵なお店」をコンセプトに開店されました。開店3ヶ月目あたりに私のところに話が舞い込み「買ってやるから見積もり出せ」と言われたので天ぷら用の海老、かまぼこなど見積もらせていただき早速見てもらおうと訪ねたら閉店(閉業)しておられました。うどんすすりながらワインを堪能・・・奇抜なアイデアでした
訂正・・
昨日UPしたブログで「私はその同じ年の夏、ビルの屋上に・・・」の文章ですが間に写真を入れるの忘れた投稿をしてしまいました。まず能登川の私よりひとつ上のU子ねえさんがアルバイトしておられたのはアルプラザの「ミスタードーナッツ」でして、同じ年にアルバイトしていたのは

アルプラザの前の道路の向かい側にあった石原ビルの屋上のビアガーデン(当時はあった)でした。このビアガーデンでのアルバイトは後からの仕事に関係したとお話ししていたくらい思い出に残っています。当時の夜はは今ほど暑くなく、少しさわやかな風が吹いていました。BGMはシーナイーストン・加山雄三の歌が流れていたりしました。当時はバイト終えた後にどこかへ遊びに行ったり・・爺さんになった今では考えられない「オールナイト」での毎日でした
定休日の方が忙しい・・・?
とにかく時間に追われる定休日でした

実父、病院の転院及び特養への入所手続き(申し込み)などで2~3時間かかりました。そして書類等の確認かね実家との往復。そこで見たのは実家の前の家の改修工事。よくこの倉庫で遊ばせてもらったものです

容器など購入するとき通った道。この辺りに41年前勤めていた会社がありました。今は移転されました。当時私がつかえていた社長は「金子信雄」さん風の方で奥さんは「春川ますみ」さん風の人でした。3年ほどでやめましたが結構面白く勤めさせていただきました。

左にあるのは彦根市内安清町にある老舗のお店。そして右は佐和山小学校。面白いことに安清町は城東小学校区域・・・目と鼻の先にあるのに・・

彦根市内アルプラザのこの辺りにドーナッツ屋さんがあり、能登川でひとつ上のU子ねえさんが1980年代当時アルバイトしておられました。で・・・私はその同じ年の夏このビルの屋上にあったビアガーデンんのボーイしていました。その一階下の「龍麟」のチーフだったI南さんにはまかない食べさせてもらったり良くしていただきました。料理についても「枝豆はなあ~ゆがいてから塩数回に分けて振ると塩かげん良くできる」とか教えてもらったのが45年後活かされるとは・・・

カレー屋さんから見る後三条の交差点。昭和時代、同じ年の方のご家族が営まれていたガソリンスタンド、チェーン店ではない焼肉屋さんマニアックなモデルガン売っていたお店、渡辺謙さん風の方がやっていたお好み焼き屋さん思い出多いこの交差点です
好天続き・・独り言
まだまだ暑い日が続きそうですね

こうした空、若いころなどウキウキしましたが今は「あ~暑~っ!」しか言わなくなってしまいました

リモコンの草刈り機って良いなあ~

一度見たら中々忘れられない看板ですな

彦根市内、国道8号線沿いのこのお店、いつも買いに来られる方でにぎわっています

この辺りにとある「パワー」授かるシールを販売しているお店がありました。そこで購入された方からの勧めで店にシール貼ってみましたが効果ありませんでした。

この会社のマークは45年ほど前にこれにされました。ところが当時サラ金「ヤタガイ」という会社のマークに似ていたのでイメージが・・・としばらくこのロゴを前面にしませんでした。結構そういうなんってありますわな
色々あら~な
昨日は「ふれあいナイト」でした。私は商工会会員として「スモークチキン」販売させていただきました

始まる前の様子。今年こそ「雨」に邪魔されない事願うばかりでした

唐揚げ、そして私どもの「スモークチキン」好評でした・・で・・・

何やらスーツ軍団が。実はこの方々「SP」さんでして、現職大臣が来られるということで「バチバチ」の警護を固めておられました。

いよいよ来られるとなった時緊張はピークに

イベント終了間際の様子。3年ぶりに無事終えられホッとしていた寛珍でした
昔のことは・・・
老人特有の「昔のことは覚えてるくせに・・・」です

あ店のご飯がなくなりました~あしたの朝食~そのためお米を家で研ぎました~

8時ちょうどのお米2合はタイマーかけて~

スイッチ入れるの忘れたら~炊けませ~ん~私は私はご飯から

パンにし~ます・・・あほな替え歌してんとこ・・

天気、今現在は快晴です。本日のふれあいナイト、商工会として出店します。ただ、今回に関して「骨なしスモークチキン」なんです。鶏、骨付きもも肉の入荷が大幅に遅れ来週月曜に入荷の為仕方なくもも正肉にて段取りさせていただくことにしました。
思い込みなんやろか・・・
深夜、酒飲みながらシンセサイザー奏者の「喜太郎」さんの曲聞いていました

この歳になり親交なお深める友、離れてゆく友のこと思い出しながらちびりちびり・・・

44年前の昨日に見た景色。この写真のうち二人はこの世にいないですが、今も心の中に鮮明にと残る友人に伝えても返事なし。それも28年も・・・連絡来たら「悪いけど〇〇の課長紹介してくれ」とか・・対応してもその後私の利用価値無しと思ったらそれっきり・・あの夕日と話しても「はいはいはい・・・」とうざったい返事に寂しさと悔しさがにじみ出た時期もありました

純粋というかあほというか・・私はそれでいいと思っています。その年、私は塩狩峠訪れました、三浦綾子さんの小説「塩狩峠」の現場訪れたくての行動でした。まわりの反応は「純粋」「あほ」「利用価値あり」など散々でした。なるほど今の「卑怯」な私からは考えられない行動でした。でも、「良いんです」・・確かにあの「時」、私はあの場所にいたことが大切だと思っています。ちなみにこの同型車を近所のHさんIさんのお父さんが乗っていたというのだから不思議な「縁?」感じます

遠ざかってゆく「縁」もあればその逆もあり、浜能登川のIさんがこの時、礼文島でアルバイトしておられたというのですから最初その話聞いた時鳥肌立つくらいに驚きました。「へぶちゃん」が言う「思い出は飯の種にもならんのやさかいに・・」・・果たして・・・結果は10年後ですわな。その時私・・店たたんでそこいらで「ものごい」していても・・それも人生ですわな
盆なんて・・
目まぐるしい木・金でした

木曜日は毎度のごとくの診察。こってりお土産いただきました

そのお薬もらうときに見ていた高校野球。年寄ネタなのですが民放の場合守備と攻撃の入れ替え時に下の部分でいわゆるテロップのCMが流れたりします。50年前など「十全練炭」のCMが流れていた様な記憶がありまして、1970年代当時はまだ練炭のCMがあったんだなあ~と思い出していました

ここ・・その当時「オーク」という名の喫茶店だったと思います

んで金曜、本来ならお寺参りがあるのですがこの日は実父の「転院」の日でしてお寺を遠巻きに見ながら後ろ髪引かれる思いで
・・・・すんません、嘘です。お参りしなくてもよい理由出来て喜んでいました

荷物をまとめて

この病院から見る景色もこれで最後かと思いつつ

転院先での打ち合わせなどしつつ実家にて弟と今後のこと話すため実家へ

実家による道中このような宗教施設が・・・日蓮関連とのことです

ここが「H亭」だったころ海老、油脂類などよく買っていただいておりました

この学校の屋上から見た景色、もう50年以上前ですが今も鮮明に覚えています

印刷局。へぶちゃんのお兄さんとかが勤めておられました。それこそ年寄の一言ですがこの場所の前は現彦根市役所のところにありました

実家近くの通りほんと歯抜けで寂しい限りです

今年も行われる「みたままつり」先の大戦での戦没者の為の式です。私は結婚するまでの毎年ここで手を合わさせていただいておりました。このようにしてお盆を迎えるわけです、実父のことなどもそうなんですが、昨年以上にバタバタするこの夏です



